露出形・被覆形の起源について⑥
Ⓓ露出形 e 〜被覆形 i 対応型
☆te(風、方角)〜ti
idu-ti(何処=何方)
ko-ti(東風)
faya-ti(疾風)
si-fasu(十二月=風駈す)
註、以下のシはチの子音交替形。
ara-si(嵐=荒風)
ni-si(西、西風)
fi-muka-si(東)
☆fe(方)〜fi
sö-ga-fi(背向=背が方)
sökö-fi(底=底方)
☆me(女)〜mi
o-mi-na(嫗=老女)
註、オは「年配の」の意の接頭辞。ナはオトナ(大人)のナと同じ接尾辞。
wo-mi-na(女=若い女)
註、ヲは「若い」の意の接頭辞。
❂izana-mi (伊奘冉=誘女)
☆me(妻)〜mi
kona-mi (前妻=熟妻)
註、コナはコナス(熟す)、コナレル(熟れる)のコナか。
露出形・被覆形の起源について⑤
Ⓒ露出形 ë 〜被覆形 i 対応型
※被覆形が連母音のうち後続母音ではなく先行母音が脱落したとみられる特異な例。
☆fë(瓮)〜fi
mo-fi(■〈土偏に完〉)
註、モは「盛る」の語幹。
露出形・被覆形の起源について④
Ⓑ露出形 ë( e )〜被覆形 ö( o )対応型
※被覆形が a の母音交替形 ö で対応している型
☆kë(日)〜ko
ko-ti(東風)
註、東風を意味するコチはヒムカシよりも古い語彙で、元は東方と東風の二つの意味を持っていたと思う。ヒムカシのヒと同様にコチのコも元は太陽を意味していたと考える。
ko-yömi(暦)
※いずれも甲類・乙類が不明のためkoとしたが本来はköであったと思う。
☆se(背)〜sö
sö-ga-fi(背向=背が方)
註、ガは連体助詞。ヒはヘ(方)の被覆形。
sö-ku(退く=背く)
sö-sisi(宍背=背肉)
sö-tömö(背面)
註、トモは連体助詞ツ+オモ(面)の約と言う。
sö-bira(背平)
sö-muku(背向く=背く)
suga-sö(菅曾=菅背)
☆te(手)〜tö
tö-ru(取る=手る)
☆nifë(贄)〜nifo
nifo-döri(鳰鳥)
註、ここでのニホは「めでたい」という意味。
露出形・被覆形の起源について③
☆nafë(苗)〜nafa
nafa-sirö(苗代)
☆nifë(贄)〜nifa
nifa-kï(庭酒=贄酒)
註、キは甲類・乙類双方の表記が見られるが乙類が古形とみる。二へは本来「神に捧げる食物」の意だが、ここでは転じて「神聖な」「めでたい」の意味で使われていると思われる。ニハをこうした意味で使っているのは以下総て同じ。
nifa-kusa(庭草)
註、ニハクサには二つの意味があるが、これは箒草(箒木)を意味する場合。
nifa-kunaburi(鶺鴒)
註、クナは狂ったように激しくの意。ブリはフリの連濁で尾羽根を振ることか。
nifa-suzumë(庭雀)
nifa-tu-töri(鶏)
nifa-töri(鶏)
nifa-nafi(新嘗)
註、ナヒは「〜する」の意の補助動詞ナフの連用名詞形。
❂nifa-kamado(庭竈)
❂nifa-sen(庭銭)
❂nifa-bï(庭火)
☆ne(音)〜na
na-ku(泣く、鳴く)
註、四段活用の自動詞と下二段活用の他動詞とがある。
na-su(鳴す)
na-ru(鳴る)
☆ne(寝)〜na
na-su(寝す)
註、ナスには「寝かせる」の意の他動詞と、ヌ(自動詞)の尊敬表現との二種類ある。
☆ne(根=大地)〜na
na-wi(大地居=地盤)
註、元は地盤の意味だが転じて地震の意味でも使われた。
na-wi-furi(地盤動=地震)
na-wi-furu(地盤振る=地震が揺れ動く)
☆fire(領巾)〜fira
fira-obi(褶=平帯)
fira-ka(平瓮)
fira-suki(平坏)
fira-bi(褶)
fira-mi(褶)
註、ヒラオビ→ヒラビ→ヒラミと変化したと考えられる。
kusa-fira(蔬、菜=草枚=野菜)
sö-bira(背平=背)
ta-fira(た平=平)
註、タは接頭辞。
fana-fira(花枚)
yö-fira(四枚)他
☆fune(舟)〜funa
funa-amari(舟余り)
funa-ikusa(舟師)
funa-kazari(舟装り)
funa-gï(船材)
funa-gifofu(船競ふ)
funa-ko(船子)
funa-se(船瀬)
funa-tatu(船発つ)
funa-dana(船棚=舷)
funa-tu(舟津)他
☆mane(偽=真似)〜mana
mana-bu(学ぶ)
☆mare(希)〜mara
mara-fitö(客=稀人)
☆mune(胸)〜muna
muna-kaki(胸懸)
muna-saki(胸前)
muna-sofu(胸副ふ)
muna-ti(胸乳)
muna-waku(胸分く)
muna-wakë(胸分)
taka-muna-saka(高胸坂)
❂muna-ita(胸板)
❂muna-gafi(胸交)
❂muna-gara(胸がら)他
註、ムナグラの古形。
☆mune(棟)〜muna
❂muna-kado(棟門)
❂muna-gï(棟木)
❂muna-fuda(棟札)
❂muna-betu(棟別)
☆mune(宗)〜muna
muna-kata(宗像)
☆mure(群)〜mura
mura-kimo-nö(村肝乃=群肝の)
註、枕詞。
mura-kumo(叢雲)
kusa-mura(叢=草群)
sisi-mura(肉団=肉群)
註、肉の塊。
sugï-mura(杉村=杉群)
tadu-mura(鶴群)
tukï-mura(槻村=槻群)
fitö-mura(一村=一群)
註、この場合のムラは助数詞。
fo-mura(火村=火群)
❂mura-garu(群がる)他
註、ガルは「甚だ〜である」の意の補助動詞。
☆më(目)〜ma
ma-kiyu(眩=目消ゆ?)
ma-tu-gë(睫=目つ毛)
ma-na-kafi(眼間)
註、左右の目の間。ナは連体助詞。カヒについては上代語辞典・岩波古語辞典ともカフ(交ふ)の連用名詞形としているが、私はアヒ(間)の前に k が挿入されたものと考える。
ma-na-ko(眼=目な子)
ma-na-buta(瞼=目な蓋)
ma-nö-atari(眼当=目の辺)
ma-fe(目方=前)
ma-mi(目見)
ma-miyu(目ゆ=目見ゆ)
ma-moru(守る=目守る)他
☆yakë(宅)〜yaka
yaka-su(舎屋)
註、スは接尾辞か。
☆yöne(米)〜yöna
❂yöna-kura(米倉)
☆wakë(戯奴)〜waka
waka-katura(若楓)
註、カツラは今の金木犀か。
waka-kaferute(若鶏冠木=若蛙手)
註、カヘルテはカエデ。
waka-kï(若木)
waka-kusa(若草)
waka-kömö(弱薦=若菰)
waka-si(若し)
waka-na(若菜)
waka-fisagï(若歴木=若楸)
waka-matu(若松)
waka-miya(少宮=若宮)他
☆wase(早稲)〜wase
wasa-ifi(早飯=早稲飯)
wasa-sa-zakë(■〈酉偏に倍の旁〉酒=早稲さ酒)
註、ワササの後続のサはヒサ(久)→ヒササ同様、元来は語調を整える為に挿入されたものか。後にワササだけで早酒(新酒)を意味し、ササが酒の別称となる。
wasa-da(早田=早稲田)
wasa-fo(早穂=早稲穂)
❂wasa-duno(わさ角=早稲角)
❂wasa-fagï(早萩=早稲萩)
露出形・被覆形の起源について②
語例は無印のものは時代別国語大辞典上代編(以下、上代語辞典と略す)、❂印のものは岩波古語辞典に拠った。
Ⓐ露出形 ë( e )〜被覆形 a 型
☆akë(朱)〜aka
aka-kagati(赤酸醤)
註、赤いホオズキ。
aka-gane(銅)
aka-kinu(赤絹)
aka-goma(赤駒)
aka-tate(赤盾)
aka-dama(赤玉)
aka-töki(明時=暁)
aka-ni(赤丹)
aka-ne(赤根=茜)
aka-neri(赤練)他
註、赤い練り絹。
※上代ではakaを単独で用いた例は無い。
☆amë(天)〜ama
ama-kakëru(天翔る)
ama-gatari-uta(天語歌)
ama-gïrasu(天霧す)
ama-kudasu(天降す)
ama-kumo(天雲)
ama-zakaru(天離る)
ama-sösöru(天聳る)
ama-damu(天飛む)
ama-taru(天足る)
ama-di(天道)他
☆amë(雨)〜ama-giri(雨霧)
ama-gömöru(雨隠る)
ama-tutumi(雨障)
ama-tufo(雨壺)
ama-farë(雨■〈日偏に齊〉=雨晴)
ama-ma(雨間)
ama-yo(雨夜)
❂ama-kaze(雨風)
❂ama-ginu(雨衣)
❂ama-kumo(雨雲)他
☆amë(飴)〜ama
ama-si(甘し)
ama-na(甘菜)
ama-nafu(和ふ=甘なふ)
註、ナフは「〜する」の意の補助動詞。
☆ine(稲)〜ina
ina-kadura(稲蘰)
ina-gara(稲幹)
ina-ki(稲置)
ina-ki(稲城)
ina-dane(稲種)
ina-tubï(稲粒)
ina-tumi(稲積)
ina-ba(稲葉)
ina-musirö(稲筵)
❂ina-go-maro(稲子麿)他
☆ukë(食)〜uka
uka-nö-mitama(稲魂)
註、穀物の霊
uka-nö-më(稲魂女)
註、同上。女神。後の宇賀の神。
❂uka-nö-kamï(宇賀の神)
☆ude(腕)〜uda
uda-ku(抱く)
☆une(畝)〜una
❂una-fu(耡ふ)
註、畝を作る。上代語辞典ではウナテ(溝)のウナをこのウネの被覆形とみているが、畝は盛り上がった所を言うので、ウナテとは意味が逆で不審。ウナテのウナは頸の意のウナと同源か。
☆ufë(上)〜ufa
ufa-tu-kuni(上国)
ufa-nari(上成?=後妻)
ufa-ni(表荷)
ufa-nuri(上塗=堊色)
ufa-fumi(上文=題)
ufa-fe(上辺)
❂ufa-gaki(上書き)
❂ufa-tutu(上筒)
❂ufa-tu-miya(上宮)
❂ufa-mi(褶)他
註、ヒラオビ→ヒラビ→ヒラミの例があるので、これもウハオビ(上帯)→ウハビ→ウハミと変化したと考えられる。
☆ure(末)〜ura
ura-garu(末枯る)
ura-gufa(末桑)
ura-ba(末葉)
❂ura-fazu(末弭)
☆kagë(影)〜kaga
kaga-mi(影見=影)
kaga-miru(鑑みる)
註、鏡の動詞形。
kaga-yofu(加我欲ふ=影よふ)
註、ヨフはタダヨフ・イサヨフのヨフで、揺れ動くの意の補助動詞。
☆kagë(冠=插頭)〜kaga
kaga-furi(冠)
註、カガフルの連用名詞形。
kaga-furu(被る=插頭触る)
註、もとは插頭に触れるの意。転じてカブル・コウムルの意味になった。
☆kaze(風)〜kaza
kaza-faya(風速)
kaza-maturi(風祭)
kaza-mamori(風俟=風守)
❂kaza-ufë(風上)
❂kaza-gakure(風隠れ)
❂kaza-kiri(風切)
❂kaza-kuti(風口)
❂kaza-gumo(風雲)
❂kaza-kë(風気)
❂kaza-sita(風下)他
☆kanë(金)〜kana
kana-kï(鉗)
kana-suki(金■〈金偏に且〉)
kana-to(金門)
kana-fazu(金弭)
kana-bata(金機)
kana-fë(金瓮=鼎)
kana-mari(鋺)
kana-ya(金箭)
kana-yumi(金弓)
❂kana-irö(金色)他
☆kure(暮)〜kura
kura-si(闇し)
kura-su(暮す)
❂kura-garu(暗がる)
註、ガルは「甚だ〜である」の意の補助動詞。
❂kura-gura(暗々)
❂kura-götö(暗事)
❂kura-magire(暗紛れ)
❂kura-masu(暗ます)
❂kura-mi(暗み)
❂kura-mu(暗む)
❂kura-raka(暗らか)他
☆kë(毛)〜ka
ka-zasi(插頭=髪插)
ka-zasu(插頭す=髪插す)
ka-sira(頭=毛著ら?)
ka-dura(鬘=髪蔓)
sira-ka(白毛)
☆kë(日)〜ka
i-ka(五十日)
iku-ka(幾日)
ka-ka-yaku(輝く=か日やく?)
註、太陽の意のケに接頭辞のカが付いてカケとなり、その被覆形のカカにヤクが付いたものか。ヤクはタヲヤグ・ハナヤグのヤグと同源同義で「〜のような性質を持つ」「〜のような状態になる」の意の補助動詞。
ka-ga-nabu(迦賀那ぶ=日日並ぶ?)
註、カガを岩波古語辞典では「屈む」のカガに取っているが、「日数を数える」という意味なので、上代語辞典のように日日と取る方が自然。
ka-ga-ri(篝)
註、カガは清濁の違いはあるものの、アクセントが同じである所からみてカカヤクのカカと同源か。「綴り」の意とする上代語辞典の説はアクセントが違うので不審。
ka-gi-ru(蜻る=日気る)
註、「玉蜻る」という枕詞の中しか用例が無い。ギはイキ(息)のキの連濁で「気」の意。「日気る」で「ほのかに光を発する」の意と考える。なお「玉」については上代語辞典・岩波古語辞典とも文字通りに「玉」の意に取っているが、私は「日本語における古代信仰」(中公新書)の土橋寛氏の説に従い、「魂」の意味に取りたい。
ka-gi-ro-fï(炎=日気ろ火)
註、前項のカギルの語幹カギとヒ(火)の間に連体助詞のロが入ったものか。連体助詞のロは本来乙類だがここでは母音調和により甲類に転じたとみる。
ka-gë(影=日気?)
ka-gë(陰=日消?)
註、上代語辞典の【考】にもある通り、カゲには「光そのもの」と「光の当らない部分」という相反する二つの意味があり、表記の上では区別されていないのだが、語源から言うと前者は「日気」後者は「日消」ではないかと思う。
fi-ka-ru(光る=聖日る)他
註、太陽の意のケに、神霊の意から転じて「神聖な」の意の接頭辞となったヒが結合してヒケという名詞ができ、その被覆形ヒカに活用語尾のルが付いたものと考える。
☆kë(気)〜ka
ka-awo(か青)
ka-gurosi (か黒し)
ka-yasusi(か易し)
ka-yöru(か寄る)
註、ここまでは接頭辞の例。以下は接尾辞の例。いずれも殆ど意味はないと思われる。
akara-ka(赤らか)
isasa-ka(聊か)
örö-ka(愚か)
saya-ka(清か)
註、上代語辞典のラカの項では「サヤカのヤカもラカと同じ」と書かれているが、サヤカの項では「擬声語サヤに接頭辞カが付いた」形と書かれていて説明が異なる。サヤカの項のように考える方が自然と思う。
fönö-ka(眇か)
yuta-ka(豊か)他
☆kë(瓮)〜ka
ka-më(瓶)
註、メはヘ(瓮)の連濁ベの子音交替形。
fira-ka(平瓮)
註、被覆形同士の結合で異例。
mi-ka(甕)
註、ミは水の意か。
yu-ka(斎瓮)
☆köwe(声)〜köwa
❂köwa-iro(声色)
❂köwa-zasi(声ざし)
註、ザシはサシの連濁で接尾辞。オモザシ・マナザシのザシに同じ。
❂köwa-zama(声様)
❂köwa-tuki(声つき)
❂köwa-daka(声高)
❂köwa-daye(声絶え)
❂köwa-dukafi(声遣ひ)
❂köwa-dukuru(声作る)
❂köwa-dukurofi(声づくろひ)
❂köwa-ne(声音)他
☆sakë(酒)〜saka
saka-kura(酒坐)
saka-tufo(酒壺)
saka-duki(酒坏)
saka-dönö(酒殿)
saka-bito(酒人)
saka-bune(酒船)
saka-fokafi(酒楽=酒寿)
註、ホカヒは「皆でことほぐ」の意の四段動詞ホク(寿く)に補助動詞アフ(合ふ)が結合してホキアフ→ホカフとなってできたと考える。
saka-miduku(酒水漬く?)
saka-ya(酒屋)
❂saka-afi(酒間)他
☆sane(核)〜sana
sana-kadura(佐那葛=核葛)
sana-da(狭名田=核田)
☆sugë(菅)〜suga
suga-kasa(菅笠)
suga-sö(菅曾=菅背)
註、上代語辞典・岩波古語辞典とも「菅麻」に取っているが、祝詞の用例は「曾」の字が使われていて乙類なので不審。「背」に取ると被覆形同士の結合になってしまうという問題点があるが、他に取りようがないように思う。
suga-tatami(菅畳)
suga-nö-ne(菅の根)
suga-nö-mi(菅の実)
suga-fara(菅原)
suga-makura(菅枕)
❂suga-kömö(菅菰)
❂suga-nuki(菅貫)
☆se(狭)〜sa
sa-ori(狭織)
sa-sa-maditi(狭狭貧鉤)
註、ササはサを二つ重ねて「細かく小さい」の意を強調した接頭辞。岩波古語辞典はイササのイが脱落した形とするが、私はむしろイササの方がササにイが付加された形と考える。マヂチのマヂは貧しいの意だが、ここでは被覆形ではなく露出形になっている。チは釣針。
sa-sa-ra-wogï(佐左良荻)
註、ササラは前項のササに状態を表す接尾辞のラが付いたもの。意味は同じ。サザラ・ササレ・サザレも意味・用法同じ。
sa-si(狭し)
sa-nuno(狭布)
sa-no(狭野)
sa-mönö(狭物)
❂sa-no(狭布)
☆se(瀬)〜sa
sa-ku(さく)
註、「波立つ」の意の四段動詞。
☆takë(竹)〜taka
taka-gaki(竹垣)
taka-tama(竹玉)
taka-tömö(竹鞆)
taka-fa(竹葉)
taka-fara(竹原)
taka-muna(筍)
註、ムナはミナ(蜷)の転。
taka-mura(竹群=竹林)
❂taka-ebira(竹箙)
❂taka-siko(竹矢壺)
註、コは籠。シはアダシノ(他し野)・タマシヒ(魂し霊)のシと同じ連体助詞か。
❂taka-töri(竹取)他
☆takë(岳・丈)〜taka
taka-gaki(雉=高垣)
taka-gafa(高川)
taka-gaya(高茅)
taka-kï(高城)
taka-kura(高座)
taka-si(高し)
taka-siku(高敷く)
taka-siru(高知る)
taka-tuki(高坏)
註、タカスキの語形もある。
taka-dönö(高殿)他
☆tate(楯)〜tata
tata-nami(盾列)
tata-namëte(楯並て)
註、枕詞。
☆tate(縦)〜tata
tata-sa(縦)
註、サは名詞に付いて方向を示す接尾辞。
tata-sama(竪=縦様)
註、上代語辞典・岩波古語辞典ともにタタサに接尾辞マが付いた形とするが、接尾辞マは名詞には接続しないので不審。タタ+サマ(様)と考える。
☆tane(種)〜tana
tana-tu-mönö(種つ物=穀物)
❂tana-sine(種稲)
註、シネはアメ→サメ(雨)と同じく、s が挿入されてイネ→シネとなったものか?
❂tana-wi(種井)
☆tumë(爪)〜tuma
tuma-kï(爪木)
註、上代語辞典ではツマギと濁音に取っているが、万葉集の用例は「木」の字なので、岩波古語辞典に従い清音に取る。
tuma-tatu(佇つ=爪立つ)
tuma-duku(爪突く)
tuma-fiku(爪引く)
❂tuma-ötö(爪音)
❂tuma-guri(爪繰り)
❂tuma-götö(爪琴)
❂tuma-sirabe(爪調べ)
❂tuma-zirusi(爪印)
❂tuma-faziki(爪弾き)他
☆te(手)〜ta
ta-kusa(手草)
ta-kuziri(手抉)
註、クジルは「穿ちえぐる」の意。
ta-kubura(手腓=臂)
註、二の腕の内側の力瘤ができる部分を言う。クブラはコブラ(瘤)の古形。
ta-gosi(手逓伝=手越し)
ta-gösi(腰輿=手輿)
ta-komura(手腓)
註、タクブラに同じ。
ta-suki(手繦)
ta-dama(手玉)
ta-tikara(手力)
ta-tukaduwe(手束杖=手掴杖)他
露出形・被覆形の起源について①
「『ねこ』の語源を考える」を何とか書き終えたので、引き続き「露出形・被覆形の起源について」を書きたい。とは言っても詳しく書くだけの時間は無いので、基本的な考え方は以前にはてなハイクに書いたこの記事を読んでいただきたい。
あとは露出形・被覆形の各タイプの例を挙げて行きます。
『ねこ』の語源を考える⑯
日本猫が通って来た道
「『ねこ』の語源━━私の仮説」の所で、日本には紀元前500年頃に猫が渡来したと書きました。しかしこの私の説が成立するためには紀元前500年以前に中国に猫が居なければなりません。通説では中国に猫が入ったのはそれより1000年以上も後、紀元6世紀のことだとされています。そこで果して紀元前500年以前の中国に猫が居たかどうかを考えてみます。
中国に猫が入ったのは紀元6世紀というのは加茂儀一氏の「家畜文化史」(1973年、法政大学出版局)から広まった通説のようですが、この時中国に入った猫は色は淡黄または白で長毛かつ垂れ耳だったというような頸をかしげるような記述もあり、そのまますんなり受け入れられるような説ではありません。
1958年に同じ法政大学出版局から刊行された木村喜久弥氏の「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」には「史家によれば、ネコは西暦400年の頃、中国において家畜化され、シャムにおけると同様に寺院や王宮に、愛玩用として飼育されたものである、という」とあって、加茂氏より100年余り古く時代を想定していますが、「史家によれば」とあるだけで具体的にこの説の出所を示していません。
一方、大木卓氏の「猫が歩いてきた道」によれば、紀元前3世紀の「✱韓非子」には、適材適所の喩えとして、鶏に夜を司らせ、狸に鼠を捕らせる、という文句があるとのことで、大木氏はこの「狸」を猫のこととしていますし、私も大木説を支持します。
✱中国、戦国時代末の思想家韓非の論文集。紀元前3世紀中頃の成立。
同じく大木卓氏の「猫が歩いてきた道」によれば、「✱礼記」には、蜡(さ)という祭で、鼠を食べてくれる『貓』を、虎と一緒に招待して祭る儀式のことが記されているそうです。蜡が最も盛んに行われたのは紀元前5世紀頃とのことで、『貓』は『猫』の本字ですから、紀元前5世紀以前に中国に猫が居たということになります。
✱儒教の五書の一つ。漢の武帝(在位前141〜87)の時代に成立。
これで紀元前500年頃に日本に猫が渡って来たとの仮説を否定すべき理由は無くなりました。それでは家猫発祥の地であるエジプトから中国までどのようにして猫はやって来たのでしょうか。
✱最初に猫を家畜として飼い始めたエジプト人は猫の輸出を禁じていたので、紀元1世紀になるまで猫はエジプトの国外に出る事は無かったという説が木村喜久弥氏の著書に紹介されています。
✱エジプトで猫が飼われるようになるよりも古い時代の猫の骨がキプロス島や死海沿岸のイェリコの遺跡から出土しています。これらの猫が人に飼われていた確率は高いと思われるので、エジプトからではなく中東から猫が世界に広まったことも考えられます。
しかし同じ木村氏の著書に、紀元前300年頃のローマ軍の紋章に猫が描かれているので、この頃イタリアでは猫が飼われていたに違いないと述べるなど、このあたりは混乱がみられます。
古代エジプト王朝が猫の輸出を禁じていたから猫がエジプト国外に出ることは無かったというのは余りにも発想が単純ではないでしょうか。むしろそうした措置を必要とするほどに流出する猫の数が多かったとみるべきでしょう。
古代エジプトで猫が大切にされていたにもかかわらず、猫の数があまり増えなかったことについて✱ヘロドトスは次のように書いています。
✱(紀元前484頃〜?)古代ギリシャの歴史家。「歴史」の著者。この部分の訳は酒井傳六。
「もし猫に次に述べるような奇妙な習性がなかったならば、その数は遥かに大きくなるはずである。猫の牝は子を産むと、もはや牡猫によりつかなくなる。牡は牝と交尾しようと思うが果たせないので、こんな策をめぐらす。牝猫から子猫を奪いとったり盗んだりして殺してしまうのである。もっとも殺すだけで食うわけではない。子を奪われた牝は、また子を欲しがって牡の許へくるわけで、それほど猫は子煩悩な動物なのである」
雄猫による子殺しの習性が猫にあるのは事実であるにしても、古代エジプトにおいても現代においてもその頻度に大きな差がある筈はなく、猫の数が増えない理由になるほど頻繁に子殺しが行われたとは考えられないので、古代エジプトで猫の数があまり増えなかったのは外国に流出していたからと考えるのが自然でしょう。
つまりエジプトで家猫の飼育が始まってそれほど経たない頃から外国への猫の流出は始まっていただろうと思います。
「猫の博物館/ネコと人の一万年」(J・クラットン・ブロック著、小川昭子訳、1998年、東洋書林)によれば、イスラエルの紀元前1700年頃の遺跡から象牙製の猫の像が出土したという事です。またクレタ島の紀元前1400年頃の遺跡からも猫の頭のテラコッタが、アテネ近郊の紀元前500年頃の遺跡からは犬と猫を描いたレリーフが、同じ頃の南イタリアの遺跡からは猫と遊ぶ女が描かれた壺が出土しているなど、猫がかなり早い時期からエジプトの国外に流出していた事は明らかです。
次にインドですが、平岩米吉氏の「猫の歴史と奇話」(1974年、築地書館)にはインドの文献に猫が表れるのは紀元前200〜紀元後200年頃成立の「マヌの法典」が最初で、紀元前4〜5世紀頃とされる釈尊入滅を描いた釈迦涅槃図には猫が描かれて居ないので、猫がインドに渡来したのは釈尊入滅以後であろうと書かれています。
しかし、大木卓氏の「猫の文化史 21 古代インドの猫」(「キャットライフ」1981年9月号)によれば、インダス文明のハラッパ遺跡からは紀元前2000年頃の猫の骨が出土していて(先述の「猫の博物館」にも記載あり)、また同じ頃のチャンフー・ダロ遺跡からは煉瓦塀の上を歩いた猫の足跡が見つかっているとのことなので、実に紀元前2000年頃には既にインドに猫が居たようです。
また国語語源辞典の『ねこ』の項目には様々な言語の猫の呼び名が載っていますが、日本語の『ねこ』や『にゃんこ』と同じn音で始まる言語が特徴ある分布をしています。
ネパール語nyân、✱レングマ語nianu、アンガミ語niana、クメール語ñaw、海南島・台湾ではniau、厦門の俗語niaun。
✱レングマ語、アンガミ語はともにチベット・ビルマ語族に属し、インド東部のナガランド州辺りで話されています。
この分布を見ると猫がネパール→インド東部→東南アジア→中国南部という海のシルクロードを通って中国に伝えられ、さらに日本に渡来したであろうことが推測できます。
なお、「東南アジア世界の形成」(石井米雄・桜井由躬雄著、1985年、講談社「ビジュアル版世界の歴史」12)のP32にはインドネシアのスンバワ島沖のサンジャ島から出土したドンソン文化の銅鼓に刻まれた紋様が載っていますが、船の先頭で船を導くように魚の上に乗っている動物が猫のように見えます。紀元前4〜5世紀の物のようです。
こうして先に記した通り、紀元前5世紀以前には猫は中国に渡来していたであろうと思います。
以上が『ねこ』の語源及び猫の歴史についての私の考えです。あとは読まれた方がご判断下さい。
最後に大木卓氏はじめ多くの方の著作を参考にさせていただきました。感謝に堪えません。