『ねこ』の語源を考える⑪

けれどもⒶの説に対しては批判もありますから、批判について検証してみたいと思います。

縄文時代の遺跡から出て来る骨はツシマヤマネコのような山猫の骨ではないのか?
記紀万葉といった古い文献に猫に関する記述が無いのは、その時代に日本に猫がいなかったからではないのか?
❸猫が中国に入ったのは6世紀。紀元前500年頃の日本に猫が渡来する筈がない。

批判❶に対して
 小型猫の骨が遺跡から出て来るのは縄文晩期になってからだという点に注意したいと思います。
 日本列島が大陸と地続きだったのは無土器文化の時代、今から1万4000年以上も前のことで、縄文晩期には日本列島は周囲を海に囲まれています。
 泳ぎが得意でない山猫が海を泳いで渡ってきたとは考えられません。人が猫を連れてきたと考えるのが自然です。
 また、小型猫の骨が出土するのが山野ではなく貝塚であるという点にも注意が必要です。日本には猫や山猫の肉を食用とする文化はありませんから、貝塚の骨は、家族の一員として埋葬されたものと考えるべきで、やはり山猫ではなく家猫の骨でしょう。

批判❷に対して
 「魏志倭人伝」にはこんな記述があります。「其地無牛馬虎豹羊鵲」。つまり倭人の地には牛も馬も虎も豹も羊もカササギも居ないと書かれているのです。けれども日本には縄文時代から牛がいたことは、牛の骨が出土することから明らかです。このように文献の記述が事実を伝えていない場合もある訳ですから、文献に記述がないから居なかったとは言いきれないでしょう。
 また「古事記崇神天皇の段には、オホタタネコという祈祷師が登場しますが、この名前がネコに由来している蓋然性もあると思います。

批判❸に対して
 多分これが一番大きな問題なのでしょうが、大きな問題だけに後で詳しく述べたいと思いますから、ここでは説明を省略して、ただ紀元前500年の中国にも猫がいた蓋然性はあることだけ記しておきます。

 縄文晩期の紀元前500年前後と言えば中国では「臥薪嘗胆」「会稽の恥」「呉越同舟」といったことわざで知られる呉越抗争の時代です。大胆に推理するなら、呉越の抗争で難民化した呉越の住民が海に逃れて海流に乗り、日本に水田稲作を伝えた。そしてその時航海の守り神として猫を乗せて、日本に猫をもたらしたと私は考えます。
 そこで猫が4〜5世紀以前に既に日本に渡来していたとして『ねこ』の語源を考える事にしましょう。
 先に述べた通り、この時代の日本語にはeという母音がありませんから、nekoとかneという語形はあり得なかった訳です。✱eはiaという連母音の合成でできた母音ですから、neは古くはniaと発音されていたと考えられます。

✱『ねこ』の最古の用例がある8世紀頃の文献ではe(エ甲類)と ë (エ乙類)の二種類の『え』が区別されていたのですが、子音との組み合わせによっては区別のない音もあります。
これは8世紀頃には乙類→甲類という収斂が進行中で、既に収斂を終えて乙類が消滅した音と、まだ甲類・乙類の区別が残っていた音とがあった為と考えられます。
『ね』は既に区別が無くなっていた音ですから、8世紀の『ね』には元からneであった音と元はnëであった音とがあるわけです。nëの場合は、古い形はnaiになります。ただ『にゃんこ』の『にゃん』との対応からみてnaiではなくniaが『ね』の古形であろうと私は思います。

 これは猫を意味する幼児語『にゃんこ』から接尾辞『こ』を除いた『にゃん nyan 』に語形がそっくりです。当然niaとnyanは同源の言葉と考えて良いでしょう。nyanはnianのiが拗音化した語形であると考えるなら、niaとnianの違いは語尾のnが付くか付かないかだけです。
 それではniaとnianのどちらが古い語形なのでしょうか。つまりniaがnianからnが脱落した形なのか、nianがniaにnが付加された形なのかですが、撥音のnが後から付加されるのは『みんな(皆)』『たんび(度)』のように語中に限られ、語尾に付加されることはありませんから、nianの方が古く、niaはnianからnが脱落した形と考えられます。
 一方、「国語語源辞典」(山中襄太著、1976年、校倉書房)には、中国福建省厦門(あもい)では俗語で猫のことをniaunと言うとあります。福建省春秋戦国時代には越国があった所です。
 nianとniaunの酷似は偶然ではないでしょう。おそらく越語(閩南語)のniaunを日本人はnianという形で受け入れたのでしょう。このnianが日本語から連母音が消えた4〜5世紀頃に、母音の合成によってnenとなったりiの拗音化によってnyanとなったりしたのだと私は思います。
 ここで源氏物語に出てくる『ねうねう』は実際にはnen-nenと発音されていたのではないかと私が述べたのを思い出してください。
 nen-nenのnenは、かつては猫の呼び名でもあったのです。
 
 以上を図示すると次のようになります。

niaun(越語)→nian→nen+ko→nenko→neko

niaun(越語)→nian→nyan+ko→nyanko