『ねこ』の語源を考える②

 かつてCats誌の1991年3月号で、皆川澄子さんに『ねこ』の語源についての私の考えを紹介していただいた事があります。
 気がつけば、それからはや四半世紀近くの長い歳月が流れてしまいました。その間、いつかはきちんとした形で私の考えをまとめておきたいと思い、実際に一度は書き上げたのですが、内容にいまひとつ不満な部分があったりして、書き直した上で発表をと思っているうちに、こんなに時間がたってしまいました。
 この間にも、たくさんの人が『ねこ』の語源について記述しています。けれども残念なことに私の目に触れた限り、そのどれもが従来の語源説の踏襲もしくは紹介にとどまっていて、注目すべき新説も無く、すでに語源説は出尽くしたと思われているようですが、果たしてそうでしょうか。実は従来の語源説はどれもそれぞれに問題点・難点を抱えているのです。
 そんな訳で、今でも私の考えを改めて述べることの意味は充分にあるのではないかと思い、こうして投稿させていただいた次第です。

『ねこ』の語源についての諸説

 これまでに『ねこ』の語源に関しては、実にさまざまな説が出されています。
 そこで木村喜久弥氏の「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」(1958年、法政大学出版局)や井上ひさし氏の小説「百年戦争」(1977〜78年毎日新聞夕刊連載、1994年、講談社文庫、猫の語源に関する記述は上巻P42〜45)等を参考に私が知り得た限りの語源説をとりあえず挙げてみましょう。

源氏物語若菜下の巻には〈…来て、ねうねうといとらうたげに鳴けば、かき撫でて…〉というくだりがあって、ここでは猫の鳴き声が『ねうねう』と表現されている。この『ねうねう』の『ねう』に、愛称の接尾辞『こ』が付いて『ねうこ』となり、これが短縮されて『ねこ』になった。
②猫はよく寝る動物なので、『寝る』の『ね』に接尾辞『こ』が付いて『ねこ』になった。
③『ねこ』は古くは『ねこま』と呼ばれた。すなわち『ねこ』は『ねこま』の語尾の『ま』が脱落した形である。〔契沖他〕
擬声語『ね』に接尾辞『こ』が付いて『ねこ』となった。〔広辞苑他〕
⑤『猫』の漢字音(✱呉音)の『めう』に接尾辞『こ』が付いて『めうこ』となり、『めうこ』→『めこ』→『ねこ』となった。

✱遣隋使・遣唐使などによって伝えられた隋唐代の長安・洛陽などの漢字音を漢音と言い、これより古い時代に日本に伝わっていた漢字音を呉音と言います。また宋代以降に日本に伝わった漢字音は唐音・宋音などと言います。
「行」の字を『ぎょう』と読むのが呉音、『こう』と読むのが漢音、『あん』と読むのが宋音です。
呉音がいつの時代のどの地域の中国音を反映しているのかについては次の二つの説があります。
Ⓐ5、6世紀頃南北朝時代の中国南朝の中心地域、南京地方の漢字音が、百済経由もしくは直接に日本に伝えられたもの。
Ⓑ4世紀初めに中国北部が五胡十六国時代に入り、中国北部は異民族の侵入によって漢字音も大きく変化しました。これ以前の中国北部黄河流域の漢字音が、朝鮮半島経由で日本に伝えられたもの。

⑥『猫』の字の旁『苗』から『なへけもの』となり、その略『なへけ』が転じて『ねこ』になった。
⑦『睡獣(ねむりけもの)』の略『ねけ』が転じて『ねこ』になった。〔✱賀茂真淵

賀茂真淵(1697〜1769)
江戸中期の国学者歌人遠江国の出身。国学者としては本居宣長の師にあたり、万葉集の研究に業績を残しました。

⑧猫は好んで鼠を食べるので『ねずみ』の『ね』と『このむ』の『こ』で『ねこ』となった。〔✱貝原益軒

貝原益軒(1630〜1714)
江戸前~中期の儒学者・医者。筑前国の出身。黒田藩に仕え「養生訓」等の著作があります。

⑨鼠に会うと身軽に行動するので『鼠軽(ねかろ)』が転じて『ねこ』になった。
⑩猫の頭が『鵺(ぬえ)』という鳥の頭に似ているので『ぬえこ』と呼んだのが転じて『ねこ』になった。〔✱中島廣足〕

✱中島廣足(1792〜1864)
江戸後期の国学者歌人肥後国の出身。晩年には熊本藩藩校時習館国学教授を務めました。

⑪猫は虎に似ているので『如虎(にょこ)』が転じて『ねこ』になった。
⑫猫は虎に似ているので『似虎(にこ)』が転じて『ねこ』になった。
⑬猫の毛は柔かいので『柔毛(にこげ)』の『にこ』が転じて『ねこ』になった。

 以上が私が知り得た限りの『ねこ』の語源説ですが、このうち比較的支持者の多い①の『ねうこ』説、②の『寝子』説、それに多少詳しく触れる必要がありそうな③の『ねこま』説については後で詳しく述べることとして、先に④から⑬の各説についての私の考えをざっと述べてみます。