『ねこ』の語源を考える⑬

『おて』の語源

 全国方言辞典と同じ著者による「分類方言辞典」(1954年、東京堂出版)には、『ねこ』の方言もいろいろ掲載されていますが、意外性で際立っているのが『おて』(滋賀県蒲生郡八幡)という方言でしょう。
 東條操氏はこの項目に「→えて」と書き込んでいて、『おて』は猿の別称『えて』から音と意味が転じたものと考えていたようです。果してそうでしょうか。
 猿と猫を間違えるなどということは、ほとんどあり得ない事ですし、『さる』が「去る」に通じるという発想から生まれた忌み言葉『えて』は今も広く使われている言葉ですから、『えて』から音が転じて『おて』になり、さらに意味も転じて猫を意味するようになったとは、とても考えられません。
 先にも触れた室町時代の辞書「挨嚢鈔」にはこんな記述があります。

 猫ヲ✱乙(ヲト)ト云ハ何ノ故ゾ
 虎ヲ。於菟(ヲト)ト云也。然ニ猫ノ姿。并ニ毛ノ色虎ニ似レル故ニ。世俗猫ヲ呼ビテ於菟(ヲト)ト云ヘバ。猫則喜ト云リ。(下略)

✱『乙』『於菟』にヲトと仮名が振ってありますが、これは定家仮名遣いによるもので、歴史的仮名遣いではオト。

 「(質問者)世間で猫を『おと』と言ったりするのはどうしてですか?(回答者)虎のことを別名『おと』と言います。猫の姿や毛色が虎に似ているので、猫のことを『おと』と呼べば猫は喜ぶと言います」
 猫の毛色と虎の毛色が似ているかどうかは疑問ですが、この辞書は加藤清正の虎退治の150年も前に書かれたものなのですから、この時代の日本人にとって虎はほとんど空想の世界の動物であるわけで、このような誤りは仕方ない事でしょう。
 そして、方言の『おて』は、この猫の別称の『おと』が訛った形というのが私の考えです。猫を意味する『おと』については、広辞苑にも言海にも載ってますから、何故東條操博士が気づかなかったか不思議ですが…。