語源を考える〜『たけなわ』

「日本語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)には『たけなわ』の語源についてこう記述されている。

たけなわ[たけなは]【酣・闌】(名)(形動)
ある行為・催事・季節などがもっともさかんに行われている時。また、それらしくなっている状態。やや盛りを過ぎて、衰えかけているさまにもいう。最中(さいちゅう)。もなか。まっさかり。✦初出:書紀 720
[語源説]
❶タケは、丈の長くなることをいうタケルから。ナハは遅ナハルなどのナハと同じ〈本朝辞源=宇田甘冥〉。タケシ(長)の意から〈国語の語根とその分類=大島正健〉。
❷タケはタク(長・闌)・タケブ・タケルと同根〈小学館古語大辞典〉。
❸ウタゲナカバの約〈古事記伝〉。
※本朝辞源……1871年。
※国語の語根とその分類……1931年。
小学館古語大辞典……中田祝夫・和田利政・北原保雄編。1983年。
古事記伝……本居宣長著。1764~1798年。

「語源大辞典」(堀井令以知編、1988年、東京堂出版)の『たけなわ』の項目はこう書かれている。

タケナワ【酣】 まっさいちゅう。もっともさかんな時。古事記伝の説、ウタゲナカバの略からとするのはいかがであろう。タケは日長(た)くのタクと同系か。タケナハのナハは未詳。

「続・国語語源辞典」(山中襄太著、1985年、校倉書房)の『たけなわに』の項目はこう書かれている。

たけなわに【酣に、闌に】大言海たけなはに━━たけハ長(タ)くる意。なはハ成るノ意。〔考〕Batchelor のアイヌ語辞書に、take(今、只今、数日以前。now, just now, a few days ago)、nahun(只今、数日以前。just now, a few days ago, a little ago)という語がみえる。この両語を合わせた形 take-nahun とタケナハ(酣)と、よくにているのは、その間に何らかの関連が伏在するのか。酣(カン、たけなわ)の字は、「酉(サケ)が甘(ウマイ)」意から、酒ヲ楽シム、酒宴ノサカリ、物事ノサカリの意。闌の字音はランだが、カンの音もありうることは、柬(カン)、諫(カン)、揀(カン)などの例からもわかる。酣(カン)と同音だから、仮借用法として、この字を酣の意に使うのだろう。

岩波古語辞典(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年、岩波書店)の『たけなは』の項目はこう書かれている。

たけなは【酣・闌】かつ《タケはタケ(丈・長・闌)・タケシのタケ。高まる意》①物事の最も高まるとき。最中。「酒━の後(のち)に、吾は起ちて歌はむ」〈紀神武即位前〉。「酣、タケナハナリ・タケナハニ」〈名義抄〉②盛りを少し過ぎたさま。「夜深け酒━にして、次第(ついで)儛ひ訖(をは)る」〈紀顕宗即位前〉。「闌、ツクス・タケナハタリ・タケヌ」〈名義抄〉✝takënaFa

時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編集委員会編、1967年、三省堂)の項目はこう。

たけなは[酣]形状言。たけなわ。物事の(主に酒宴の)最中、あるいは盛りを過ぎた状態。「酒酣(たけなは)之後、吾則起歌」(神武前紀)「夜深酒酣(たけなはニシテ)、次第儛訖」(顕宗前紀)「酣タケナハニ・闌タケナハタリ」(名義抄)【考】「酣」は、酒を楽しむ・酒宴最中・盛んなの意。第三例名義抄にみえる「闌」は「言希也、謂、飲酒者、半罷半在、謂之闌」(漢書帝紀顔師古注)とあるように、盛りを過ぎたさまを表わす。真最中から盛り過ぎという意味の幅は、このような語に自然なものかと思われる。タケナハのタケは日(ヒ)長(タ)クなどのタク(下二段)であろうが、その日長クにも、真昼(朝おそく)をさす場合から、日の傾く夕方を指す場合までがあるようで、タケナハもその例外ではあるまい。

ネットの語源辞書には『たけなわ』の語源について書かれたものは無かったが、Twitterでこんな記事があった。

丸山天寿
【美しい言葉】━「酣=たけなわ」ーたけなわの語源は様々。「うたげなかば」が変化したという説。「長ける=たける」と「成る」が組み合わされたという説。暖かな日差し、鳥の声、咲き誇る花々。春たけなわと言うが他の季節には使わない。春は生命の盛んな季節。新たな希望を持てる季節
15:40 -2013年4月2日


さて、『たけ』については古事記伝本居宣長説を除けば下二段活用の動詞『たく(長く)』の連用形と取る説が多い。下二段活用の連用形は上代音では乙類になるので『たけなは』の『け』が乙類であることとも合致する。(ただ宣長説も清音と濁音の違いはあるのだが、『うたげ』の『げ』も乙類)
しかしまた『たかし(高し)』の語幹『たか』の露出形『たけ』の『け』もまた乙類であり、『たけなは』の『たけ』を『たか』の露出形の『たけ』と取ることにも音韻上の問題は無い。
また、語源不詳とされたりしている『なは』は容量の限度を示す『なは(納)』ではあるまいか。
すなわち「容量の限度一杯=『なは』まで高まっている状態」が『たけなは』ではないのかと私は考える。