語源を考える〜『しぐれ』

『しぐれ(時雨)』の語源について「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀編、1998年、講談社)にはこうある。


《時雨(しぐれ)》
晩秋から初冬にかけて、一時ぱらぱらと降ってくる小雨。風が強まって急に降ったり、すぐ止んだりする。「時雨」は、時に降ることから当てられた字。『万葉集』(8世紀)にシグレ・シグレノアメが見られる。『祝詞(のりと)』(10世紀初)などにある風の異称シナトノカゼ(シは風、ナは「の」の意の古い連体助詞、トは場所)等から古く風の意のシがあったとみられ、これとシグレのシを関連づける説など、さまざまな語源説があるが未詳。〚久保田篤
万葉集 奈良時代末期に成立した、現存する日本最古の和歌集。20巻。撰者は不明。奈良時代およびそれ以前につくられた四千五百余首を収録。『万葉集』の記載に従えば、古くは仁徳天皇の時代(5世紀後半)の歌を含んでいることになるが、それらは後代に仮託されたもののようで、実際には舒明天皇の時代(629~641)から後のものと見られる。雑歌・相聞歌・挽歌などに分類されており、また、東歌・防人歌など異色の歌も収載されている。
祝詞 祭儀の詞章。『延喜式』(927)に収められたものが有名。


「日本語源大辞典」にはこうある。


しぐれ【時雨】
主として晩秋から初冬にかけての、降ったりやんだりする小雨。また、そのような曇りがちの空模様をもいう。✦初出:万葉 8C後
[語源説]
❶シバシクラキの義〈日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解〉。シバシクラシ(荀味)の義から〈紫門和語類集〉。シハクラ(屢暗)の義〈言元梯〉。
❷シクレアメ(陰雨)の略〈東雅〉。
❸シグレ(気暗)の義〈松屋筆記〉。
❹頻昏の義〈和訓栞〉。シキリクレ(頻暮)の義〈日本語原学=林甕臣〉。シキリニクラシの訓〈関秘録〉。
❺シゲククラム(茂暗)の義〈志不可起〉。シゲクレ(繁昏)の義〈名言通〉。
❻イキグレ(気濛)の義〈松屋棟梁集〉。
❼シは添えた語。クレは、空がクラクなるところから〈和訓栞(増補)〉。
❽シは水垂下の義。クレは雨、あるいは陰、あるいは暗晦の義という〈箋注和名抄〉。
❾シは風の義、クレは狂ヒの転か〈音幻論=幸田露伴〉。
❿シは風の義。クレは晩の義〈和訓集説〉。
⑪過ぎ行く通り雨であるところから、スグル(過)の転〈語源をさぐる=新村出〉。


ネットの語源辞書は以下の通り。


〚語源由来辞典〛
しぐれ
【意味】しぐれとは、晩秋から初冬にかけて、ぱらぱらと降ってはやむ、一時的な通り雨。
【しぐれの語源・由来】
しぐれの語源には、「シバシクラキ(しばらくの間暗い)」や「シゲククラキ(茂暗)」など、一時的に暗くなるところからとする説。
「アラシ(嵐)」の「シ」や「カゼ(風)」の「ゼ」と同じく、「シ」は「風」を意味し、急に風が強まったりすることから、「シクルヒ(風狂い)」の転。
通り過ぎゆく一時的な雨なので、「スグル(過ぐる)」の転など、この他にも多くの説があるが、正確な語源は解っていない。


〚和じかん com.〜雨に関係する日本語の由来〛
「時雨(しぐれ)」は過ぐるからできた言葉

時雨は語源の通りに、ひとしきり降ってサッと通り過ぎる自然現象です。「とおりすぎる」から転じて「しぐれ」になったのです。
秋の長雨と違って、音のしない降り方が特長(ママ)。天気予報などで「夕方に少し時雨れるでしょう」といっているのを聞くことがあるが、これは時雨が降るでしょうの意味。


〚言霊・楽習社〛
時雨の語源は?……時雨の時って、しばらく空が暗くなり、一時的に雨が通り過ぎ、時には強い風もともなうこともありますね

西高東低の冬型の気圧配置でも、等圧線が縦模様に何本も走っている天気図の時は強い冬の季節風が吹き、そのため日本海で発生した雲が私が住む阪神間の平野部まで到達し、時雨をもたらすことがある。

「時」と「雨」で、「しぐれ」と呼ぶがその「しぐれ」の語源はいろいろある。
が3つの説を紹介する。

1つ目の説としては「過ぐる」が変化したものという説がある。
「過ぐる」が語源だとすれば時雨はあまり長い時間降る雨でなく、雨雲が通り過ぎるとすぐに晴れてくることが多いから「過ぐる」が変化して「しぐれ」になったということが想像できる。

2つ目の説として「しばし暗し」「しばし暮れる」説がある。
これも、時雨が短時間であることに由来していると考えられる。
時雨の時は、空が雨雲に覆われて暗くなり、日が暮れたように感じるが、そうなっても短時間のことなので「しばし暗し」「しばし暮れる」が語源になったということが想像できる。

3つ目の語源説としては「風」の古語の「し」と「狂い」が転化した「ぐれ」が合わさって「しぐれ」になったという説である。
この場合は、冬の強い北風をともなって降る雨、それも時には、強い風を伴い、荒れ狂う天候で、降る雨から「風」の古語の「し」と「狂い」が転化した「ぐれ」から「しぐれ」になったと想像できる。


これまでに出ている語源説は時雨が一過性の雨という点に注目したものが多く、晩秋から冬という季節について説明できる語源説が無いことに物足りなさを覚える。
そこで私なりに考えてみた。

全国方言辞典(東條操編、1951年、東京堂出版)にはこんな記述がある。

ぐり……時雨。しぐれ。南島首里

また分類方言辞典(東條操編、1954年、東京堂出版)巻末の全国方言辞典補遺篇には

なつぃぐり……夏の雨。夕立。南島。

という記述もある。
沖縄語辞典(国立国語研究所編、1963年、大蔵省印刷局)には guri の項目は無いが

naçiguri……夏のにわか雨。夕立。文語的な語。

とある。
また「おもろさうし」1234には

天頂(あまつゞ)は 雨(あめ)たもす 漏(も)らね
天頂は あいつまは いきやかせ
又天頂は くれたもす 漏らね

とあって『雨=くれ』であることが判る。この『くれ』は雨を意味する古語とされる。

これらから琉球古語で雨を意味する『くれ』もしくは『くり』(『ぐり』は連濁か)という語があったと想定できる。
また分類方言辞典巻末の全国方言辞典補遺篇には

うりー……(湿の意)雨降り。おしめり。広島県葦品郡・長崎県南高来郡・南島。

とあり、この『うりー』も意味・語形からみて『くり』と同源と考えられるので『くり』は琉球語のみならず、かつては日本本土でも使われていたと考えられる。したがって『しぐれ』の『くれ』はこの『くり』と同源であり「雨」を意味する語根であろう。
また分類方言辞典巻末の全国方言辞典補遺篇には

くり……霧。八丈島。

とあるので、『霧(きり)』もおそらく雨の意の『くり』に由来する語で『くり→きり』と語形が変化したものだろう。

一方『しぐれ』の『し』に関してだが、琉球語では時雨=冬の雨を simu と言う。(沖縄語辞典に拠る)。この simu は和語の『しも(霜)』に由来するという。
播磨風土記

愛(うつく)しき小目のささ葉に霰降り志毛降るともな枯れそね小目のささ葉

万葉集64の

葦辺ゆく鴨の羽がひに霜ふりて寒き夕は大和し思ほゆ

そして琉球語のシムが時雨を意味することなども考えると『しも』は古くは冷たい雨(氷雨)あるいは霙(みぞれ)を意味したのではなかろうか。上代においては『しも』は「置く」ではなく「降る」と表現される例が多いのも、『しも』が氷雨や霙を意味したとすれば理解しやすい。

ということで『しも+くり→しもぐり→しぐり→しぐれ』となったと想定してみた。
あるいはまた『しぐれ』の『し』を『氷雨』の『ひ』が転じたものと考えることもできる。
通り雨という意味は『時雨』という字を宛てたことによって二次的に生じた意味だろうと思う。