『ねこ』の語源を考える⑯

日本猫が通って来た道

 「『ねこ』の語源━━私の仮説」の所で、日本には紀元前500年頃に猫が渡来したと書きました。しかしこの私の説が成立するためには紀元前500年以前に中国に猫が居なければなりません。通説では中国に猫が入ったのはそれより1000年以上も後、紀元6世紀のことだとされています。そこで果して紀元前500年以前の中国に猫が居たかどうかを考えてみます。
 中国に猫が入ったのは紀元6世紀というのは加茂儀一氏の「家畜文化史」(1973年、法政大学出版局)から広まった通説のようですが、この時中国に入った猫は色は淡黄または白で長毛かつ垂れ耳だったというような頸をかしげるような記述もあり、そのまますんなり受け入れられるような説ではありません。
 1958年に同じ法政大学出版局から刊行された木村喜久弥氏の「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」には「史家によれば、ネコは西暦400年の頃、中国において家畜化され、シャムにおけると同様に寺院や王宮に、愛玩用として飼育されたものである、という」とあって、加茂氏より100年余り古く時代を想定していますが、「史家によれば」とあるだけで具体的にこの説の出所を示していません。
 一方、大木卓氏の「猫が歩いてきた道」によれば、紀元前3世紀の「✱韓非子」には、適材適所の喩えとして、鶏に夜を司らせ、狸に鼠を捕らせる、という文句があるとのことで、大木氏はこの「狸」を猫のこととしていますし、私も大木説を支持します。

✱中国、戦国時代末の思想家韓非の論文集。紀元前3世紀中頃の成立。

 同じく大木卓氏の「猫が歩いてきた道」によれば、「✱礼記」には、蜡(さ)という祭で、鼠を食べてくれる『貓』を、虎と一緒に招待して祭る儀式のことが記されているそうです。蜡が最も盛んに行われたのは紀元前5世紀頃とのことで、『貓』は『猫』の本字ですから、紀元前5世紀以前に中国に猫が居たということになります。

儒教の五書の一つ。漢の武帝(在位前141〜87)の時代に成立。

 これで紀元前500年頃に日本に猫が渡って来たとの仮説を否定すべき理由は無くなりました。それでは家猫発祥の地であるエジプトから中国までどのようにして猫はやって来たのでしょうか。
 ✱最初に猫を家畜として飼い始めたエジプト人は猫の輸出を禁じていたので、紀元1世紀になるまで猫はエジプトの国外に出る事は無かったという説が木村喜久弥氏の著書に紹介されています。

✱エジプトで猫が飼われるようになるよりも古い時代の猫の骨がキプロス島死海沿岸のイェリコの遺跡から出土しています。これらの猫が人に飼われていた確率は高いと思われるので、エジプトからではなく中東から猫が世界に広まったことも考えられます。

 しかし同じ木村氏の著書に、紀元前300年頃のローマ軍の紋章に猫が描かれているので、この頃イタリアでは猫が飼われていたに違いないと述べるなど、このあたりは混乱がみられます。
 古代エジプト王朝が猫の輸出を禁じていたから猫がエジプト国外に出ることは無かったというのは余りにも発想が単純ではないでしょうか。むしろそうした措置を必要とするほどに流出する猫の数が多かったとみるべきでしょう。
 古代エジプトで猫が大切にされていたにもかかわらず、猫の数があまり増えなかったことについて✱ヘロドトスは次のように書いています。

✱(紀元前484頃〜?)古代ギリシャの歴史家。「歴史」の著者。この部分の訳は酒井傳六。

 「もし猫に次に述べるような奇妙な習性がなかったならば、その数は遥かに大きくなるはずである。猫の牝は子を産むと、もはや牡猫によりつかなくなる。牡は牝と交尾しようと思うが果たせないので、こんな策をめぐらす。牝猫から子猫を奪いとったり盗んだりして殺してしまうのである。もっとも殺すだけで食うわけではない。子を奪われた牝は、また子を欲しがって牡の許へくるわけで、それほど猫は子煩悩な動物なのである」

 雄猫による子殺しの習性が猫にあるのは事実であるにしても、古代エジプトにおいても現代においてもその頻度に大きな差がある筈はなく、猫の数が増えない理由になるほど頻繁に子殺しが行われたとは考えられないので、古代エジプトで猫の数があまり増えなかったのは外国に流出していたからと考えるのが自然でしょう。
 つまりエジプトで家猫の飼育が始まってそれほど経たない頃から外国への猫の流出は始まっていただろうと思います。
 「猫の博物館/ネコと人の一万年」(J・クラットン・ブロック著、小川昭子訳、1998年、東洋書林)によれば、イスラエルの紀元前1700年頃の遺跡から象牙製の猫の像が出土したという事です。またクレタ島の紀元前1400年頃の遺跡からも猫の頭のテラコッタが、アテネ近郊の紀元前500年頃の遺跡からは犬と猫を描いたレリーフが、同じ頃の南イタリアの遺跡からは猫と遊ぶ女が描かれた壺が出土しているなど、猫がかなり早い時期からエジプトの国外に流出していた事は明らかです。
 次にインドですが、平岩米吉氏の「猫の歴史と奇話」(1974年、築地書館)にはインドの文献に猫が表れるのは紀元前200〜紀元後200年頃成立の「マヌの法典」が最初で、紀元前4〜5世紀頃とされる釈尊入滅を描いた釈迦涅槃図には猫が描かれて居ないので、猫がインドに渡来したのは釈尊入滅以後であろうと書かれています。
 しかし、大木卓氏の「猫の文化史 21 古代インドの猫」(「キャットライフ」1981年9月号)によれば、インダス文明ハラッパ遺跡からは紀元前2000年頃の猫の骨が出土していて(先述の「猫の博物館」にも記載あり)、また同じ頃のチャンフー・ダロ遺跡からは煉瓦塀の上を歩いた猫の足跡が見つかっているとのことなので、実に紀元前2000年頃には既にインドに猫が居たようです。
 また国語語源辞典の『ねこ』の項目には様々な言語の猫の呼び名が載っていますが、日本語の『ねこ』や『にゃんこ』と同じn音で始まる言語が特徴ある分布をしています。
 ネパール語nyân、✱レングマ語nianu、アンガミ語niana、クメール語ñaw、海南島・台湾ではniau、厦門の俗語niaun。

✱レングマ語、アンガミ語はともにチベットビルマ語族に属し、インド東部のナガランド州辺りで話されています。

 この分布を見ると猫がネパール→インド東部→東南アジア→中国南部という海のシルクロードを通って中国に伝えられ、さらに日本に渡来したであろうことが推測できます。
 なお、「東南アジア世界の形成」(石井米雄・桜井由躬雄著、1985年、講談社「ビジュアル版世界の歴史」12)のP32にはインドネシアのスンバワ島沖のサンジャ島から出土したドンソン文化の銅鼓に刻まれた紋様が載っていますが、船の先頭で船を導くように魚の上に乗っている動物が猫のように見えます。紀元前4〜5世紀の物のようです。
 こうして先に記した通り、紀元前5世紀以前には猫は中国に渡来していたであろうと思います。

 以上が『ねこ』の語源及び猫の歴史についての私の考えです。あとは読まれた方がご判断下さい。
 最後に大木卓氏はじめ多くの方の著作を参考にさせていただきました。感謝に堪えません。