『ねこ』の語源を考える⑩

『ねこ』の語源━━私の仮説

 『ねこ』の語源を考える時、私には気になることがあります。nekoという言葉にeという母音が含まれていることです。
 日本語の歴史を遡ってみると、「古事記」「日本書紀」「風土記」などが書かれた8世紀には a・i・Ï
・u・e・ë・o・ö の8種類の母音が使われていたと考えられています。このうち ï・e・ë の3種類の母音は✱日本語から連母音が消えた時に、連母音の合成によってできた母音で、それ以前の日本語は a・i・u・o・ö の5母音でした。

✱日本語は元来連母音を持たない言語であったとの説もありますが、私は日本語は元々は連母音を許容する言語であったのが、おそらく4〜5世紀頃に外来の言語の影響の下に一時的に連母音が消えたのだろうと思います。

 5母音が8母音になった時期が何時なのかを特定するのは難しいのですが、卑弥呼が生きた3世紀当時はまだ5母音であったことが、✱「魏志倭人伝」に表れる日本語語彙の分析から判りますから、おそらく4〜5世紀頃であろうと思われます。

✱「邪馬台国の言語」(長田夏樹著、1979年、學生社)参照。

 『ねこ』という言葉のうち、『こ』=愛称の接尾辞という見方は「岩波古語辞典」はじめ多くの人によってなされていますし、私もこの点に関して異議はありません。
 問題は『ね』なのですが、もし『ねこ』もしくは接尾辞の『こ』が付く前の『ね』の成立が4〜5世紀以前ならば、日本語にeという母音が無かった時代ですから、もっと古い語形を復元して考えなければなりません。そこで猫が日本に入ってきたのがどの時代だったかを考えてみました。
 猫が日本に入って来た時期については、次のような説があるようです。

縄文時代
家猫に近い小型の猫科動物の骨も貝塚からよく出てきており(中略)その時期は(中略)水田稲作文化が渡来した縄文晩期、前1000年〜前500年あたりに上限のめどを置いてよかろう。(✱大木卓「猫が歩いてきた道」)

✱「猫 バラエティムック」(1988年、朝日新聞社)所収。

Ⓑ仏経伝来の時
大船には鼠多くあるものなり。往古仏経の舶来せし時船中の鼠を防がん為に猫を乗せ来ることあり。(✱田宮仲宣「愚雑俎」)

✱田宮仲宣は江戸中期の戯作者。1753?〜1815年。随筆「愚雑俎」は本人死後の1833年刊。この件は後述する「物類称呼」の応用か。

Ⓒ6〜7世紀
中国に家ネコが入ったのが一応6世紀としても、大陸人の日本への移住は、その後100年ないし200年のあいだにひんぱんになされたに違いない。同時に、多少のネコもまた上陸したと考えるべきだろう。(中村禎里「日本動物民俗誌」)

 このうちⒷの説が一般に広く信じられているようで、「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」の木村喜久弥氏、「猫まるごと雑学事典」の北嶋廣敏氏もこの説を支持していますが、仏経伝来の時よりもはるか後世の江戸時代に書かれたものであり、何の根拠も示していない訳ですから、何故このような説が広く受け入れられているのか不思議です。
 Ⓒの説も基本的には推測の域を出ないもので、これに対して唯一科学的根拠を示しているのがⒶの説ですから、猫の日本渡来の時期としてはⒶの縄文時代とするのが妥当だと私は思います。