『ねこ』の語源を考える⑧

『ねこま』の語源説

 『ねこ』の別称『ねこま』について、室町時代の1445年頃に書かれたとみられる百科辞書「✱挨嚢鈔(あいのうしょう)」には、こんな記述があります。

✱『あい』は原本では土偏に蓋。同音同義の『挨』で代用しました。著者行誉は京都観勝寺(焼失により現存しない)の僧。

 「✱狸ノ字ヲ。✱✱タゝゲトヨム。又子コマ共ヨム。只子コト同事也。」

✱『狸』の字について、「日本動物民俗誌」(中村禎里著、1987年、海鳴社)には次のように書かれています。
「中国における狸がすでに動物学上単一の動物を指すとは思われない。(中略)狸は『爾雅翼』によればキツネの類でヒョウに似る。また『本草衍義』および『本草綱目』においては狸はネコに近い。これらの論拠にもとづき、久米邦武、相馬由也および日野厳は、狸は日本語のネコに相当すると断じた。しかしこの動物は野獣であるから、中国において狸とは、ヤマネコを中核とする野生中型哺乳類の漠たる呼称だったようである。池田啓も、現代の中国動物名を調査し、狸はジャコウネコ類を中心にネコ的な動物の総称として使われていた、と述べている。」
✱✱『たたげ』については後述参照。

 『ねこま』というのは『ねこ』と同じことであると書かれているのは、この当時には既に『ねこま』という言葉が死語になっていて『ねこ』と同じと説明しなければならないような状態だったと考えられます。このように早くに死語になってしまったせいか、『ねこま』を『ねこ』よりも古い言葉であると思っている人は多いようです。

◆✱和名抄によるに、そのかみは禰古万とよべりしことしるし。(✱✱雀庵)

✱「和名抄」は略称で、正式には「倭名類聚鈔」。源順編著。934年頃成立。『ねこま』の初出をこの倭名類聚鈔と書いている人が多いのですが、実は「本草和名」が初出。
✱✱江戸時代の国学者と思われますが、詳細不明。

◆猫は和名鈔に、和名禰古万なり、然るに中葉より下略して禰古といへり。(滝沢馬琴
◆猫の古名は「ねこま」だが、…(「カンペキの猫知り」スタジオ・ニッポニカ編、1999年、小学館文庫)
◆『和名抄』には猫は「禰古万」と書かれており、昔は猫のことを「ネコマ」と呼んでいたらしい。(「猫まるごと雑学事典」北嶋廣敏著、日本文芸社

 けれども文献の上では『ねこま』の方が『ねこ』よりも古いとは言えないのです。
 『ねこま』が文献に初めて表れるのは、918年頃成立の薬物辞書「本草和名」の中の「家狸一名猫 禰古末」という記述です。これに対して、『ねこ』が文献に初めて表れるのは『ねこま』より100年以上前の「新訳華厳経音義私記」(794年書写、成立は奈良時代中期か)ですし、他にも「日本霊異記」(823年頃成立)、「新撰字鏡」(892年頃成立)といった「本草和名」より古い文献に既に用例があって、少なくとも文献の上では『ねこ』の方が『ねこま』よりも古いのです。
 そのことを確認した上で、『ねこま』の語源説を紹介します。

①『鼠子待(ねこまち)』を略して『ねこま』となった。(✱契沖)

✱(1640~1701)。江戸時代初期の国学者。尼崎生まれ。藤原定家が定めた定家仮名遣いを批判して歴史的仮名遣いを創始するなど、その科学的実証的研究姿勢は今日でも評価が高いのですが、この語源説のレベルは余りに低く、ほとんど評価に値しません。

高麗からやって来た良く寝る獣だから『寝高麗』と呼ばれた。(雀庵)
③『ねうねう』と鳴く獣だから『ねうけもの』を略して『ねけも』と言ったのが転じて『ねこま』となった。(滝沢馬琴

 それぞれの説についての私の感想を延べてみます。
①鼠の子を『ねこ』と呼んだという証拠もなく、『待ち』を『ま』と略した例もありません。
②『✱からねこ(唐猫)』『こまいぬ(狛犬)』のように、地域名が先に来るのが日本語の造語法ですから、この説は日本語の造語法に合いませんし、猫が朝鮮半島からやって来たという証拠もありません。
また文献上『ねこ』の方が『ねこま』より古いわけですから、『ねこま』は『ねこ+ま』という構成になっている筈で、『ね+こま』という構成で考える②③の説は文献上の事実に合いません。

✱『からねこ』については後述参照。

③『けもの』を『けも』と略した例もありませんし、『けも』から『こま』への音転はかなり無理があって、ほとんどあり得ないと言っていいでしょう。