『ねこ』の語源を考える⑥

『寝子』説の問題点

 『寝子』説がいつ頃誰によって言い出されたのかは明らかではありません。1889年(明治22年)刊の「言海」に「✱或云、寝子ノ義」とありますから、少なくともそれ以前から『寝子』説があったことは確かですが、提唱者の確認はできませんでした。

✱「言海」の『ねこ』の項の冒頭には「ねこまノ下略。寝高麗ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ、上略シテこまトモイヒシガ如シ」とあって、著者大槻文彦は『寝高麗』説であったのが判ります。→『寝高麗』説については後述。

 『ねこ』の語源説として『寝子』説がよく知られているにもかかわらず、『寝子』説を積極的に支持しているのは、私が確認した限り、「語源 面白すぎる雑学知識」(日本語倶楽部編、1990年、青春出版社)だけでした。
 『✱うなぎ(鰻)』は胸が黄色いから『むなぎ(胸黄)』と言ったとか、『✱✱ねずみ』は盗みをするから『ぬすみ』が訛って『ねずみ』になったという説などと同様の民間語源説なのかも知れませんが、学者から合理性が無いと批判されてもなかなか人気が衰えないのが民間語源説なので、この説もインテリの支持を得られなくても一般の人気は高いのかも知れません。

✱『うなぎ』が古くは『むなぎ』と言われていたことは万葉集、新撰字鏡などに『むなぎ』と書かれていることから判ります。そこから「胸が黄色いから『胸黄』と言ったのが語源である」という説が出て来た訳ですが、『き(黄)』が色の呼び名として使われるようになるのは平安時代になってからのことですから、奈良時代に書かれた万葉集に用例のある『むなぎ』の語源が『胸黄』である筈がありません。
「時代別国語大辞典上代編」(三省堂)の『むなぎ』の項には「この魚には蛇体が連想され、ムナギのナギはアナゴのナゴと同様、虹・蛇の意の琉球語ナギ・ノーガと同じ語かという」とありますし、「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀編、講談社)は更に、この『なぎ』を『ながし(長し)』の『なが』と関連づけて考えています。私もこの考えに賛成ですが、語頭の『む』についてはいずれの辞書も何も触れていませんので、『む』についての私の考えを述べますと、『む』は『み(身)』の被覆形であろうと思います。
被覆形とは、『さかや(酒屋)』の『さか』、『ふなのり(船乗り)』の『ふな』のように、複合語の中にだけ表れる語形を言いますが、『むかわり』(『身代り』の古形)のように、『み』の被覆形として『む』が表れる例が幾つかあり、『むなぎ』の『む』もそうした例と同じく『み』の被覆形として『む』が使われたものであろうというのが私の考えです。その場合、『むなぎ』とは「身体の長いもの」という意味になり、鰻の実体とも符合していると思います。
✱✱『ぬすみ』説は貝原益軒の「日本釈名」に見えます。「語源大辞典」(堀井令以知編、1988年、東京堂出版)には「ネ(根)の国に住むものの意か」とありますし、『やねずみ(屋根住み)』の『や』が脱落したという説もあります。
私は徳島県美馬地方の方言で『ねずむ』という動詞があり、これが「潜み隠れる」という意味である所から、『ねずみ』とは「潜み隠れるもの」という意味であろうと考えています。古語が方言に残っている事はままありますから。

 この説に対する批判の典型として滝沢馬琴の文章を挙げてみます。

 ✱「大凡睡を好むけものは猫のみ限らず、狸、✱✱狢(むじな)、鼬の類みなよく睡るものなり。わきて陽睡をたぬきねむりと唱へて、ねぶりの猫よりたぬきむじなのかたに名高し。是この和名に、ねもじをかけて唱へざりしをもて、猫まのねも、ねむりけものの義にあらざるを知るべし。されば狸狢の類は真の睡りにあらず、そらねむりなれば、ねといはずといはん歟。猫とても熟睡は稀にて、多くはそらねむりなり。かれがいざときをもて知るべし。」

滝沢馬琴のこの文章は直接には賀茂真淵の「ねむりけもの」説を批判したものですが、『ねこ』の『ね』を『寝』の意味に取る全ての仮説に対する批判にもなっているので、ここで取り上げました。
✱✱「狢(むじな)」はアナグマのことですが、タヌキのことをそう呼ぶ地方もあり、古くから混同されてきました。滝沢馬琴も江戸深川の出身で都会の人ですから、この文章の中でも余り違いが判っていないような気配があります。

 「眠りを好む獣は猫だけではない。狸、狢、鼬の類は皆よく眠るものである。とりわけ昼日中の眠りを✱狸眠りと言って、眠りでは猫より狸狢の方が名高い。けれどもタヌキやムジナの名に『ね』の字は入っていないのだから『ねこま』の『ね』も『ねむりけもの』の意味から来ているのではないと考えるべきである。或いは狸狢の類は本当に寝ているのではなく空眠りなので、名前に『ね』の字が付かないのだろうか。でも猫だって熟睡している事は稀で、多くは空眠りである。いざという時は猫はパッと跳び起きるものである」

✱狸は気が小さく、驚くと失神してしまうので、失神した狸がやがて目が覚めて立ち去るのを見た人が「狸は空眠りする」とか「狸は人を化かす」と思ってしまったようです。今は「狸寝入り」と言ってますし「言海」にも「狸寝入り」という項目がありますが、滝沢馬琴が「狸眠り」と書いているのは、馬琴が生きた江戸末期には「狸眠り」と言っていたということなのかも知れません。

 猫や狸の習性に関する考察が当たっているかどうかはともかく、要するによく寝る動物は猫だけではないのだから、『ねこ』の語源が『寝子』である筈がないと主張している訳です。
 先述の「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」の著者、木村喜久弥氏も同様の事を述べています。

 「たしかにネコは昼間はよく眠るが、昼寝をするのはネコだけではない。フクロウ、コウモリそしてライオンやトラも日中睡眠をとる。したがって、ネコの睡眠だけが、その語原にならねばならないほど特異な習性とは考えられないので、この説にもしたがうわけにはいかない」
 ただ、ペットとして人間の身近で生活する猫と野生動物の狸や狢やまして虎やライオンなどを一緒にして論じるのは無理があるのではないかと思います。
 『寝子』説について私が気になるのは、『寝る』という言葉が近世以降の新しい言葉で、古語ではないという事です。言葉の語源を考える時にはできるだけ古い語形で考えるというのは語源研究のイロハですから、8世紀から用例のある『ねこ』の語源を考えるのには、少なくとも8世紀当時の語形で考えなければいけません。近世以降にしか表れない語形で語源を考えるのは方法論として間違っていますが、何故かこれまでその事を指摘した人は誰もいませんでした。