『ねこ』の語源を考える④

『ねうこ』説の問題点

 1936年(昭和11年)に「蚕糸界報」に連載された石田孫太郎氏の「虎猫平太郎」の第10回(9月号掲載)「ねこと云ふ言葉」に、歴史学者津國登一氏の説として「…現今猫の啼聲をニャンニャンと云って、これにコを附し、ニャンコと呼ぶやうに、源氏物語枕草子にも、猫の啼聲をネウで表はして居るが、其ネウが約(つづま)ってネコと為ったものである。(中略)紫式部清少納言も、ネウネウと猫の啼聲を聞いたことに間違ひなく、何時とはなしに、之れにコが附いてネコと為ったものに相違あるまい…」と書かれているのが『ねうこ』説の初出ではないかと思いますが、残念ながら津國登一という人については何も判りません。あるいは実在の人物ではなく、石田孫太郎氏自身がモデルなのかも知れません。
 「ねこ/その歴史・習慣・人間との関係」の著者木村喜久弥氏や、「猫鏡」(1990年、平凡社)の著者花輪莞爾氏もこの説を支持されていて、おそらく現在もっとも多くの支持を得ている説だろうと思います。
 けれども支持者が多いにかかわらず、この説は語形変化の原則に反していて、成立困難だろうと思います。
 『ねうこ』と書かれた古文献はありませんが、仮に『ねうこ』という言葉があったとしても、『ねうこ』が『ねこ』になることは有り得ず、『ねうこ』は『にょうこ』になる筈だからです。

えうえん(妖艶)→ようえん
どぜう→どじょう
てうし(調子)→ちょうし
ねう(鐃)→にょう

 これらの例のように、✱euという連母音は一様に今日ではyôという音に変っています。

✱「日本語をさかのぼる」(大野晋著、1974年、岩波新書)P91参照。

 『けう(稀有)』『目移り』の二例が例外ですが、『けう』の場合室町時代頃にはkyôと発音されていたようですし、『目移り』は複合語で、語源意識が強く働いた結果変化しなかったと考えられます。
 いずれにせよ、例外の二例も含め u が脱落した例は無く、『ねうこ→ねこ』という語形変化が起きた確率は極めて低いと言うべきでしょう。
 ところで「源氏物語」中に出て来る『ねうねう』という擬声語表現については、もう少し考えてみる必要がありそうです。
 『ねうねう』という擬声語表現が出て来るのは、この時代では✱「源氏物語」だけですから、『ねうねう』を紫式部が彼女の感性にもとづいて創造した表現とみる事もできるでしょう。

✱石田孫太郎氏は「枕草子」にも『ねうねう』という表現が出て来るように記していますし、滝沢馬琴も「猫のねうねうとなくよしは翁丸の段に見えたり」と書いていますが、私が確認した限り「枕草子」に『ねうねう』という表記は無く、この時代に『ねうねう』という表記が見られるのは「源氏物語若菜下巻」の一箇所だけです。
ずっと時代が下った江戸時代の文献に『ねうねう』と書かれたものが幾つかありますが、それは源氏物語の『ねうねう』を承けて書いているのであって、江戸時代に『ねうねう』という表記が一般的だったという訳ではありません。

けれども猫に関する他の言葉との関連を考えた場合、『ねうねう』は紫式部の創作ではなく、当時の普遍的な擬声語表現であったろうと思います。
 ただし『ねうねう』を文字通りにneu-neuと発音されていたと考える必要は無いでしょう。私はむしろnen-nenと発音されていた確率が高いのではないかと思っています。
 撥音が『ん』や『ン』で表記されるのが普通になるのは院政期(12世紀)以後のことで、「源氏物語」の書かれた11世紀初め頃はまだ撥音の表記法は安定していませんでした。
 この時代の撥音の表記法には次の五種類があったと考えられます。
①無表記
②『む』の字を当てる
③『に』の字を当てる
④『う』の字を当てる
⑤『い』の字を当てる
 現在撥音の表記に使われている『ん』の字は元々はmuを表す平仮名のひとつでしたし、『ン』の字は元々はniを表す片仮名のひとつでした。
 そんな時代だった訳ですから、この時代に書かれた文章の場合、無表記でも実際には撥音が発音されていた、場合もありますし、『む』『に』『う』『い』という仮名が書かれていても、それが文字通りの音を表すのではなく、撥音を表している場合もある訳ですから注意が必要です。
 撥音無表記の例としては、百人一首の伊勢の歌が挙げられるでしょう。「難波潟短き蘆の節の間も逢はでこの夜を過ぐしてよとや」という有名な恋の歌ですが、この歌の下の句冒頭の「逢はで」は実際にはafandeと発音されていたというのが私の先生でもある大野晋博士の説です。源氏物語の中にも『本意』を『ほい』(若菜上)、『論』を『ろ』(若菜下)と記した例など撥音無表記の例は数多くあります。