『ねこ』の語源を考える③

◆④の説は擬声語+接尾辞という構造で考えている点では①の『ねうこ』説と共通であり、なおかつ音韻変化の面での『ねうこ』説の弱点を克服する説として登場したもので、「広辞苑」のほか「新潮社国語辞典」「岩波古語辞典」等辞書ではこの説を採用しているものが多いようです。
ただ、『ね』という擬声語が実在したかどうかに疑問があります。
◆⑤の説は語源を中国の漢字音に求めている訳ですが、その漢字音もまた擬声語由来と考えられますから基本的には①・④と同じく擬声語+接尾辞というパターンです。この説の場合『めうこ→めこ』の部分に、後述の『ねうこ』説と同様の弱点があって私は支持できません。
ただ、『めこ』という語形は実在した蓋然性が高いと思います。院政期の12世紀初め頃の成立と思われる漢和辞書「類聚名義抄」には「狸、タヌキ・タゝケ・メコマ」という記事があって、『めこま』という語形が実在したことも確認できますし、むしろ『めこま』の方が『ねこま』より古い語形だと考えた方が『ねこま』という語形の成立を説明しやすいのですから、『✱めこ』が文献には無い語形であっても、文献以前の時代に日本語の中に実在したであろうと思われます。

万葉集などに『妻子(めこ)』という言葉はたびたび出てきます。或いは中には猫を意味する『めこ』も紛れ込んでいるかも知れません。

けれども『めこ』の語源は『めうこ』ではなく、『ねこ』から子音が入れ替って『めこ』になった、つまり『めこ』は『ねこ』の派生語だと私は考えます。
◆⑥の説の場合、古い用例では『猫』以外にも『狸』(日本霊異記本草和名他)『尼古』(新訳華厳経音義私記)『禰古』(日本霊異記・新撰字鏡他)等さまざまな字が『ねこ』の表記にあてられていて、『猫』の字に対してしか当てはまらない語源説では意味がありません。
◆⑦の説は基本的には『寝子』説のヴァリエイションの一つと言えますが、『寝子』説ほどシンプルでない分、説得力も無いという印象です。
◆⑧の説も、日本語における略語の造語法としては自然さを欠き、牽強付会とのそしりは免れないでしょう。
◆⑨の説は、そもそも『鼠軽』では鼠が軽いということになってしまって、『ねこ』の語源にはならないでしょう。
◆⑩の説の『鵺』を中島廣足はフクロウの事としていますが『鵺』にフクロウの意味は無く、古い用例の『鵺』は総てトラツグミのことです。
なお井上ひさし氏は小説「百年戦争」中で〈とらつぐみってのは梟の親戚でね〉と記していますが、トラツグミはスズメ目ヒタキ科の鳥でフクロウの親戚などではありません。中島廣足が鵺=フクロウとしている事と古い用例の鵺が総てトラツグミであることを無理に結びつけようとして誤ってしまったのではないでしょうか。
◆⑪の説の『如虎』という言い方は実際に中国にあるようですが、あくまで猫の別称として用いられるものであって、これを『ねこ』の語源と考えるのは音韻変化の面からみても無理があるように思います。
◆⑫の説の『似虎』では湯桶読みになってしまいます。これでは『ねこ』の語源を中国語に求めようとしているのか、和語の内部に求めようとしているのか曖昧で、説得力がありません。
また、『如虎』説と違って、中国に『似虎』という言い方が有るわけでもありません。
◆⑬の説の場合は、『いいこ(良い子)→ええこ』のようにi→eという音韻変化は日本語では普通に見られる現象ですから、『にこ→ねこ』という母音交替は充分あり得ることで、音韻面から言えば、この説にはこれといった問題点はありません。
また『柔(にこ)』は和語ですから、『似虎』説と違って、湯桶読みなどの問題もありません。
ただ、毛の性質が名称の由来となっている例が他に無いというのがやや難点ですが、私の考えとは異なるものの、一応蓋然性のある仮説と言えるでしょう。