語源を考える〜『キョウジョシギ』

キョウジョシギの語源についてネット辞書等を見てみよう。

Wikipedia
キョウジョシギ
和名は、よく目立つまだらもようを京都の女性の着物にたとえてつけられたもの。

‖ 日本の鳥百科 ‖
キョウジョシギ
夏羽のときは白・黒・栗色のだんだら模様が、京の女が着る衣装のような派手な色彩をしているところから「京女(キョウジョ)」シギになったといいます。

‖ 徒然野鳥記 ‖
キョウジョシギ
……
この背中の色彩が、大変雅やかな和服にも見えることから、京の女性に譬えて京女シギと和名が付けられました。確かに、じっと動かないままでいますとおしとやかに見えますが、残念ながら、エサを採る動作は、実にがさつです。せわしなく貝殻や小さい石、海草を嘴で跳ね除け、その下のゴカイや昆虫類を捕食します。私自身は目撃したことはありませんが、どうも動物の死骸やゴミなどもエサの対象にするようです。ある説によりますと、エサの中で、動物の死骸を食する比率は、このキョウジョシギがシギ科の中でも最も多いとされています。
また、この和服になぞらえられるきれいな背中の模様も、オスの夏羽にだけいえることで、オスの冬羽やメスの羽はかなりくすんでしまいます。どうもこの和名は、この鳥の特徴を表現する上では、あまり正確とはいえないようです。ただ、この鳥は、様々な鳴き声を発しますが、「キョウ」とか、「キョッキョッ」と鳴くことからこの和名がついたのかもしれないと推測する方もいます。鳴き声は、この他に、「ピリリリ」とか「ピョウピョピョ」とも聞こえる鳴き方もします。

‖ 野鳥辞典 ‖
キョウジョシギ(京女鷸)
キョウジョシギ(京女鷸)の華やかな夏羽を京女に見立てたのが和名の由来。

‖ 日本の鳥 ‖
キョウジョシギ(京女鷸)
名前の由来
キョウジョシギは、江戸時代前期から「きょうぢょしぎ」の名で知られていた。そこには、羽色が京女のように美しいと書かれているのであるから、悪い気はしないだろう。
ただ、名前の由来には他にもあって、ギョッ、ギョッという鳴き声を「キョウジョ」と聞きなしたという見方もあるようだ。
出典:【図説】鳥名の由来辞典 菅原浩・柿澤亮三編著 柏書房


語源を「京女」とする説が多く(「京女の着る着物」とする説もキョウジョの由来は「京女」からとしているわけだから一緒にしていいだろう)、他に鳴き声由来説もあるという状況のようだ。
ここで疑問に思うのは「京女」をキョウジョと言うだろうかということ。広辞苑(初版・第四版)で見ると『きょうじょ』の項目に『狂女』『興女』『俠女』は有るが『京女』は無い。
ただ、岩波古語辞典に『京女郎』は有るのでキョウジョシギのキョウジョが『京女郎』の略ということは考えられる。
能における『狂女』の舞に譬えたということも考えたが、この鳥は優雅に空中を舞うという鳥ではなく直線的にビューッと飛んでいく鳥のようなので、これは無さそうだ。
また『俠女』は無いだろうし、そうすると『興女』が残る。『興女』とは遊女のことで、姿の派手さとしぐさのがさつさを併せ持つ点で一番蓋然性が高いのではないかと思う。

語源を考える〜『フクロウ(梟)』

「日本語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)の『ふくろう』の項目にはこう書かれている。

ふくろう[ふくろふ]【梟】
フクロウ科の鳥。全長約50センチメートル。頭部はきわめて大きく、顔はほぼ円形。頭上に耳状の羽はない。昼は森林の木のこずえで眠り、夜活動してノネズミ・ウサギ・小鳥などを捕食。✦初出:大智度論平安初期点 850頃か
[語源説]
❶鳴き声から〈箋注和名抄・名言通・大言海・野鳥雑記=柳田国男・日本語源=賀茂百樹・音幻論=幸田露伴〉。
❷毛のフクレタ鳥であるところから〈日本釈名・和訓栞〉。
❸ヒルカクロフ(昼隠居)の義〈和訓考〉。
❹フクは夜のフクルの意、ロフはカゲロフの意か〈和句解〉。
❺不孝な鳥であるところから、フクラフ(父食)の義か〈燕石雑志〉。ハハクラフ(母食)の義という〈日本釈名〉。フホクラフの義〈言元梯〉。
[参考]
フクロウの鳴き声は、ホウホウ(「鴉鷺合戦物語」)、ホホヤ(「天正狂言ー梟」)などのほか、ノリスリオケ(「虎明本狂言・ふくろう」)とも聞かれた。晴れの時はノリスリオケ、雨の時はノリトリオケ、雌はクイクイともする(「和漢三才図会ー44」)。
※箋注和名抄……狩谷棭斎著。1827年
※名言通……服部宜著。1835年。
※大言海……大槻文彦関根正直新村出著。1932~1935年。
※野鳥雑記……1940年。
※日本語源……1943年。
※音幻論……1947年。
※日本釈名……貝原益軒著。1699年。
※和訓栞……谷川士清編。1777年。
※和訓考……釈如是観著。1826年。
※和句解……松永貞徳著。1662年。
※燕石雑志……滝沢馬琴著。1809年。
※言元梯……大石千引著。1830年
※鴉鷺合戦物語……作者未詳。15世紀末頃。
天正狂言……1578年。
※虎明本狂言……1642年。
※和漢三才図会……寺島良安著。1712年。

「語源大辞典」(堀井令以知編、1988年、東京堂出版)にはこう書かれている。

フクロウ 《梟》 フクロウ科の鳥のうち耳状の羽毛のないもの。古くはツクといった。この鳥の鳴声からの命名か。フルツという方言もある。フクロウ、ホクロク、フクログの名は、ホーホーという高い声の形容からか。

「国語語源辞典」(山中襄太著、1976年、校倉書房)及び「続・国語語源辞典」(山中襄太著、1985年、校倉書房)にはこう書かれている。

ふくろ【梟】大言海──ふくろふノ約。日本釈名「梟、其毛フクルル鳥ナル故也」。るハろト通ズ。一説、ははくらふ也。梟は悪鳥ニテ、其母ヲクラフモノ也。ふハはは也、はトふト通ズ。らトろト通ズ。大言海ふくろふ──其鳴ク声ヲ名トスト云フ。浜名寛祐氏はいう──詩経の邶風の「流離之子」の毛伝に「流離は鳥也」とあり、爾雅の釈詁に「流は求也」とあるから、「流離」はクロと読める。陸機の詩疏に「関より而西は梟を謂って流離と為す」とあり、その流離(クロ)は集韻に「鵂鶹(クロ)は鳥也」とある鵂鶹(クロ)で、すなわちフクロである。爾雅の釈鳥に「鶹は■〈左兎右鳥〉軌」とあるを古来解し得た人なく、さすがの郭璞も未詳とさじを投げた。兎の古音■〈亻に兎〉(フ)より、これを■〈左兎右鳥〉軌(フク)と読めば、フクロのフクである、云々と(「東大古族言語史鑑」pp.134~5、269~70)。奥里将建氏はいう──モーコ語 ugutt (梟)が hugutt> hugud> hukulo となったか。フクロ(袋)もモーコ語 uguta(袋)から huguda> hukudo> hukulo となったかと(「日本語系統論」p.216)。チベット語で梟を ukwa, uk-pa などというのとも、やや似た点があるのを参考。

もとはフクロ−フといった。その−フはスメル語で「鳥」の意。奥野金三郎の「タイ日大辞典」(p.858)に hu:k₃(梟)とあるのも参考。


ネットの語源辞典等は以下の通り。

‖ 語源由来辞典 ‖
フクロウ
【意味】
フクロウとは、フクロウ目フクロウ科の鳥の総称。また、フクロウ科の鳥のうち、耳のような羽角をもつミミズクを除いたものの総称。ふくろ。
【フクロウの語源・由来】
フクロウの名は、奈良時代の『常陸国風土記』から見られる。
フクロウは陰気な鳴き声が印象的な鳥で、フクロウをいう方言には、鳴き声に由来すると思われる「ゴロチョ」「フルツク」「ホーホードリ」「ホロスケ」などがあることから、その鳴き声が語源と考えられる。
フクロウ科の鳥のうち、耳のような羽角を持つミミズクを除いて「フクロウ」と呼ぶことも多いが、分類上の区別はなく、シマフクロウには羽角がある。
漢字の「梟」が「木」の上に「鳥」の略体なのは、昔、ふくろうの死骸を木の上にさらして、小鳥を脅したことに由来する。

Wikipedia
フクロウ
名前の由来
学名の属名( Strix )はフクロウを意味し、種小名の( uralensis )はウラル地方を意味する。
和名は、毛が膨れた鳥であることに由来する、鳴き声に由来する、昼隠居(ひるかくろふ)から転じたなどの説がある。異名として、不幸鳥、猫鳥、ごろすけ、ほろすけ、ほーほーどり、ぼんどりなどがある。古語で飯豊(いひとよ)と呼ばれていた。日本と中国では、梟は母親を食べて成長すると考えられていた為「不孝鳥」と呼ばれる。日蓮は著作において何度もこの点を挙げている。
譬へば幼稚の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥が母を食、母これをすてず。破鏡父をがいす、父これにしたがふ。畜生すら猶かくのごとし。━━日蓮開目抄
「梟雄」という古くからの言葉も、親殺しを下克上の例えから転じたものに由来する。あるいは「フクロウ」の名称が「不苦労」または「福老」に通じるため縁起物とされることもある。広義にフクロウ目の仲間全体もフクロウと呼ばれている。

‖ 日本辞典 ‖
フクロウ・梟
ふくろう
[フクロウ・梟]
梟。鳴き声「ホウホウ」や「ホホヤ」からとする説、ふっくらした羽毛の様から「膨るる(フクルル)」が転じた説、夜行性から「昼隠居(ヒルカクロフ)」が転じた説、不孝な鳥であることから「父食(フクラフ)」や「母食(ハハクラフ)」の意が転じた説などがある。漢字表記「梟」は、鳥を木に突き刺した様を表し、フクロウをさらす意をもつ。不孝な鳥であるフクロウの首を見せしめに曝したともいわれる。

‖ toridouraku ‖
フクロウ
(名前の由来)
新井白石は鳴き声によるとしている。
各地にさまざまな方言がある。「五郎助奉公」「ぼろ着て奉公」「法法、五郎助奉公」。
奈良時代から“ふくろふ”の名で知られている。ふをくらう(父母を食らう)とも言われおそれられていた。
「ゴロチョ」「フルツク」「ホーホードリ」「ホロスケ」などがあることから鳴き声が語源と考えられる。
漢字の「梟」が「木」の上に「鳥」の略体なのは昔フクロウの死骸を木の上にさらして小鳥を脅したことに由来する。
現在では「不苦労」「福来朗」とも意味され、首が回ることから商売繁盛、夜目が利くことから世の中に明るいとして縁起物になったようである。

‖ 徒然野鳥記 ‖
フクロウ
……
江戸時代以前のフクロウは、実は不吉であり、その声を聞いただけでも災いを呼ぶ恐ろしい鳥として理解されてきました。かの源氏物語では、再三、フクロウが気味悪いものの代名詞として登場します。「気色ある鳥の空声に鳴きたるも、『梟は、これにや』と、おぼゆ」(夕顔の巻)、「もとより荒れたりし宮の内、いとど、狐の住処になりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を、朝夕に耳ならしつつ」(蓬生の巻)といった具合です。夕顔の巻の気色ある鳥とは、気味が悪い鳥の意味であり、蓬生の巻にいたっては、狐が住むようになるほど荒れ果てた屋敷の気味の悪い木立を更に強調するのがフクロウの声として使われています。
江戸時代には、フクロウは自分の父母を食べる悪き鳥とまでその地位を落とします。「梟 一名不孝鳥 喰母故也」(類船集)と記載され、母殺しの汚名が着せられます。江戸時代の著名な愛鳥家であり、多くの野鳥を飼育したことで知られた滝沢馬琴でさえ、「フクロウは不孝の鳥なり。雛にして父母を喰わんとするの気ありといふ。和名フクロウとは、父母くらふにて、父を喰うの義ならんか。かかる悪鳥も、またその子を思ふことは、衆鳥にいやましたり。」(燕石雑志)と語られるのです。どうも、平安から江戸時代までの大変に否定的なフクロウ観は、中国の動植物史観の影響が大きかったようです。その代表的な「本草綱目」で、フクロウは悪鳥で、父母を食べてしまう、夏至には磔にすると記載され、それゆえに磔の上に鳥を置いて、梟(フクロウ)と書くとされていたものを盲信したようです。
……
さて、和名のフクロウの語源には、すでに紹介した滝沢馬琴説以外に、毛のふくれた鳥であることからという、その見た目からの説と、鳴き声からという二つの説が有力なものとしてあるようです。「鳥名の由来辞典」では、「新井白石は鳴声によるとしているが(「東雅学」)これが定説である」と断じています。フクロウの鳴き声は「ゴゥホウ ゴロスケ ゴゥホウ」と聞こえます。これがフクロウとは私には聞こえません。また、メスはギャーギャーと鳴くこともあると図鑑に記されていますが、私が青春時代前期に飼育していたメスのフクロウは、「ギャーギャー」としかなきませんでした。フクロウの鳴き声として、一般的にホーホーと鳴くものとされていますが、それはアオバズクで、より正確にはホゥホゥと短く、何度も繰り返します。……


以上見て来たように、鳴声由来説と『ふくろ(袋)』あるいは『ふくらむ(膨らむ)』の『ふくら』由来説が多いようだ。
ただ鳴声由来説の場合、『ふくろふ』の語形が既に上代からあったとなると、上代の『ふくろふ』の音は pukuropu になるので、鳴声由来とはちょっと考えにくい。
一方、類聚名義抄ではフクロフ(梟)とフクロ(袋)のアクセントが同じなので、フクロフの『ふくろ』と袋の『ふくろ』が同源であったと考えるのは自然だろう。(ただ類聚名義抄にはフクロクという項目もあり、これにも梟の字が宛てられているが、こちらはロのアクセントが違っている。方言では今もフクロクの語形もあるようだ)
問題は語尾の『ふ』で、この『ふ』の語源をきちんと説明している語源説がない。
確かに説明は難しいのだが、一応いくつか私なりに考えてみた。

①『ふ』は動詞『ふむ(踏む)』の語幹の『ふ』とみる。『ふむ』は足で押さえるの意が原義のようなので、フクロウが獲物を足で押さえる様から。
②『ふつころ(懐)』から古くは胸の意の『ふ』があったと想定できる。従って『ふくろふ』とは「膨らんだ胸」の意。
③『くぶつち』から古くは「首」を『くぶ』と言ったと想定できる。『ふくろ』+『くぶ』で「膨らんだ首」の意の『ふくろくぶ』になり、ここから『ふくろく』と『ふくろぶ』の二つの語形が生まれ、『ふくろぶ』は『ふくろふ』に変化した。
④『ふくろ』+『とび(鳶)』で「膨らんだ鳶」の意の『ふくろとび』となり、『ふくろとび→ふくろび→ふくろぶ→ふくろふ』となった。
⑤フクロウ類の古称の『つく』に『ふくろ』が付いて『ふくろつく』になり、『ふくろつく→ふくろふく』になり、さらに『ふくろふ』と『ふくろく』の二つの語形が生まれた。なお耳状羽角のある仲間は『みみ』が付いて『みみづく』になった。

語源を考える〜『きんたま』

『きんたま』の語源について、「日本語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)にはこう書かふれている。

きん-たま【金玉・睾丸】
睾丸の俗称。✦天正本節用集 1590
[語源説]
❶イキノタマ(生玉)の上略音便か〈大言海〉。
❷キビシタマ(緊玉)の義。キビシは生命にかかわる意〈名言通〉。
※名言通……服部宜著。1835年。

ネット辞書等は以下の通り。

ニコニコ大百科
金玉
金玉とは、哺乳類の精巣である睾丸の俗称である。
ω概要ω
睾丸を金玉と呼ぶようになった語源は、
1.大事なもの・貴重であるものの象徴である「金」になぞらえ、「金の玉」と呼んだ。
2.江戸時代以前の日本酒には清酒が存在せず、いわゆるどぶろくであった。このどぶろくを精液に見立て「酒(き)の玉」と呼び、それが訛って「きんたま」となった。
などの説がある。

Wikipedia
精巣
名称
精巣は金玉と俗称されるが、実際に金色をしている訳ではない。この名称の由来には諸説ある。
阿刀田高は、金玉の語源を「酒の玉」(きのたま)としている。江戸時代以前の日本酒に清酒は存在せず、濁り酒、どぶろくだった。精液をこのどぶろくに見立てて、精液が製造される器官を「酒の玉」と称した。〈 by ことばの博物館(旺文社文庫)〉

‖ kougan no hanashi by Jin ‖
睾丸の話
広辞苑」の編者として知られる新村出(しんむら・いずる)に「犬のふぐり・松ふぐり」という随筆がある。
そこには、こんなふうに書かれている。
松ボックリを関西では松フグリと呼ぶ。
日本で最初の分類式百科事典「和名抄」の形体部には、“陰嚢、俗名布久利”とある。
もっとさかのぼれば、一般に、ふくらみがあって垂れさがっているものをフクロとかフクリと呼んだ。
まるまるふくれて釣糸の先に垂れさがる河豚(フク、フグ)の語源も、そこにある。
肺も大昔にはフクフクシと言った。
以下、新村出の言葉をそのまま引用する。
この “フクフクシという肺の名が、キモを表すことにもなる。
キモダマという俗語もあるが、今日の testiculus の俗語キンタマがこのあたりから派出したのかもしれない。 ”
testiculus は睾丸の学名
キモは肺だったのか……
胸のなか、いわゆるハートのことだろうか。
解剖学以前の話である、厳密に考えてもしかたがない。
とにかく、碩学新村出さえ“かもしれない”と保留しているのだから、結論を急がず、きんたまの決定的な語源説は、まだない、としておこう。
きんたまの語源説を、(もう)ひとつ紹介する。
きんたまは、もとは“生の玉(いきのたま)”と言った。
それが、いきのたま→きのたま→きんたま
という具合に変わっていった、と。

‖ 吹風日記 ‖
あの玉はどのへんが金なのか、金玉娘と金玉姫、金玉は金の玉より重し
……この「キンタマ」の語源には諸説ありまして、決定版はないようです。最も面白いのは阿刀田高が著書『ことばの博物館』で述べている説です。いわく、「キンタマ」はかつて「キノタマ」であり、それは「酒(き)の玉」の意味である。「御神酒(おみき)」という言葉で分かるように、「酒」は「き」と読んだのである。では、なぜ酒なのかというと、当時の酒はドブロクで、白くてドロドロしており、それがキンタマの中に入っている例のアレと、ほら、よく似ているではないか。
大変面白い説ですが、資料的裏付けがないのが残念です。どなたか睾丸の意味で「酒の玉」を使っている例をご存じの方はお知らせください。
ネットで調べたところ、他にも、「生き玉」がなまったものだ、とか、「気溜まり」が変化したのだ、とか、はては、ぶつけると「きーん」と痛むから「きん玉」だ、とか、いろいろな説がありました。「睾丸の話」という素晴らしいページによれば、「広辞苑」の編者・新村出は、「キモダマ」から「キンタマ」になったのではないかと推測しているそうです。
「金色に光るから金玉だ」ということであれば、夜道とかで便利そうですが、どうやら、そういうわけではなさそうです。ちなみに陰嚢を解剖して精巣そのものを取り出すと、白い色をしているのだとか。
ところで、「金のように価値があるから金玉だ」という説にはそれなりの説得力がありますが、私としてはこの説明には反論したいところです。
……ともかく、金玉のほうが、金の玉よりはるかに価値があると、私は言いたい!

Wiktionary 日本語版 ‖
きんたま
語源
「金玉」の用字は重箱読みであるが、天正本節用集(1590年)には用字に先立ち、「キンタマ」の語が見られることから、「金玉」は当て字と考えられる。なお、語源として、以下のものが挙げられる(日本国語大辞典)。
■イキノタマ(生玉)(大言海
■キビシタマ(緊玉)(名言通)


阿刀田高の「酒の玉」説が人気のようだけど、酒の別名(ただし厳密に言うと酒と同義ではない)の
『き』は『みき(神酒)』『しろき(白酒)』『くろき(黒酒)』のいずれにおいても語尾に来ているので『酒(き)の玉』のような語頭に『き』が来る用法があり得たかどうか疑問。
また日本酒の清酒が江戸時代以前には無かったという想定も疑問がある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

全国方言辞典(東條操編、1951年、東京堂出版)にはこんな言葉が載っている。

きんかあたま……はげ頭。京(俚言集覧)・淡路島・岡山・出雲・山口。

方言とは言っても江戸時代に京で使われていたのだから、当時の中央語だね。
この『きんか』は「金瓜」でマクワウリのことらしい。禿げ頭を金色に輝くマクワウリに見立てた表現のようだ。この『きんかあたま』が『きんかあたま→きんかたま→きんたま』となり、更に陰嚢を禿げ頭に見立てて「陰嚢=きんたま」と言うようになったのではないかと推測してみた。

語源を考える〜『みなみ(南)』

方角を表す『みなみ(南)』の語源について「日本語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)にはこう書かれている。

みなみ【南】
方角の名。日の出る方に向かって右の方向。十二支では午(うま)の方角に当たる。✦初出:蜻蛉 974頃
[語源説]
❶ミナミ(皆見)の義〈和句解・日本釈名・志不可起(しぶがき)・国語蟹心鈔(かいしんしょう)・類聚名物考・和訓集説・名言通・和訓栞・紫門和語類集・大言海・語理語源=寺西五郎〉。
❷ミノミの義。ミノミは海の見える方の意〈東雅〉。海ヲ見ルの転。また上ノミハ見ユルの略〈蒼梧随筆(そうごずいひつ)〉。
❸ミノミ(水之実)の義。水の中心の意〈国語の語根とその分類=大島正健〉。
❹マヒナカ(真日中)メリの反〈名語記〉。
❺マノヒ(間日)の義〈言元梯〉。
❻ヒナミ(日並)の義。ヒとミは通ず〈和語私臆鈔〉。
❼メノモの義で、メ(目)の方、モ(面)の方の意〈神代史の新研究=白鳥庫吉〉。
※和句解(わくげ)……松永貞徳著。1662年。
※日本釈名(にほんしゃくみょう)……貝原益軒著。1699年。
※志不可起……箕田喜貞(みたよしさだ)著。1727年。
※国語蟹心鈔……藤原比呂麻呂著。1757年。
※類聚名物考……山岡浚明(やまおかまつあけ)編。1753~1780年。
※和訓集説……伴直方(ばんなおかた)著。1815年。
※名言通……服部宜著。1835年。
※和訓栞(わくんのしおり)……谷川士清(ことすが)編。1777~1887年。
※紫門和語類集(しもんわごるいしゅう)……菅原泰翁著。
※大言海……大槻文彦関根正直新村出著。1932〜1935年。
※語理語源……1962年。
※東雅……新井白石著。1717年。
※蒼梧随筆……大塚嘉樹(よしき)著。1771〜1800年。
※国語の語根とその分類……1931年。
※名語記(みょうごき)……経尊著。1268年。
※言元梯(げんげんてい)……大石千引(ちびき)著。1830年
※和語私臆鈔……本寂著。1764年。
※神代史(しんだいし)の新研究……1954年。

「国語語源辞典」(山中襄太著、1976年、校倉書房)及び「続・国語語源辞典」(山中襄太著、1985年、校倉書房)の『みなみ』の項目はこう書かれている。

みなみ【南】大言海━━皆見ニテ、日光明カナル意ト云フ。北ハ暗黒(キタナシ)ノ意ナラム。易経説卦「離也者明也。万物皆相見。南方之卦也」。北方ヲ玄武ト云フ。黒亀ノ義。冬ヲ玄冬ト云フモ、色ニ配スレバ北ハ黒ナリ。倭名抄16塩梅類「呼黒塩、為堅塩。堅塩、木多師」。神代紀上「黒心(キタナキココロ)」トモ見エタリ。後撰集13恋5「人ハカル心ノ隈ハきたなくテ、清キ渚ヲイカデ過ギケン」トモアリ。又、太平洋ヲ満波(ミナミ)、日本海ヲ波黒しト云フ説モアリ。「白鳥庫吉全集」(2、pp、276~7)にいう──四方の名は、前後左右および日の位置で定める。三韓時代には南を aripi といった。16世紀頃には南、前を alp 、後を tui 、現代は前を ap という。モーコ語でキタを khoito というは「後方」の義だから、国語キタ(北)はカタ(肩)の意だが、ミナミ(南)は、モノモ(面の方)またはメノモ(目の方)の意だろう。国語や朝鮮語で方をモというは、オスチャク語で角(スミ)を mur というに当るだろう。漢字「顔」のヴェトナム音は nham だから、これからも、ミナミは「顔(面、目)の方」の意と知れる。もしそうでなければ「日の方」の意で、日を意味する次の語と関係あるか、と。チベット語、マニャク語 nyima 、シェルパ語 nimo 、マガル語 nam-khan、リムブ語、キランティ語、ロドン語、ヤクハ語、グルンギァ語、ロホロン語、バラリ語、ドュミ語、クハリン語 nam 、トフルンギァ語 nem 、チェパン語 nyam 、ヴァユ語 nomo 、numa 、ブフタニ語 nyim など(主なもの以外は略した)。なお南の字を広東やヴェトナム(越南)で nam と読むが、これがミナミのナミで、ミは方向の意(安田徳太郎氏)とか、面(ミン)の意(松村任三氏)とかともいう。台湾の高砂族は南を min-amis という(坪井九馬三氏)。モーコ語では南、前方、胸を emüne という。新村出氏は「東亜語源誌」( p.237 )でいう──白鳥氏はミナミの語源を身(ミ)の面(オモ)とか眼(メ)の面(モ)とかされたが、当っていると思うと。タミル語で「前」を mum という。

金思燁氏はいう──「南」については、「皆見で日光の明らかな意」だという見解もあるが、いぜんとして語義未詳である。「南」の朝鮮語は「マ」( ma )である。古代朝鮮の「韓」の国号はみなその位置している地域の方位によってつけたものであった。「辰(セン、sʌjn 、東)韓」「弁(カラ、ka-l
ʌ 、中分)韓」「馬(マ、南)韓」の意をそれぞれ持っている。「マ」(南)は「向かい」の語の「マゾ」( ma-co )の「マッ」( mas )と同原語である。日本語の「前」(麻幣、 ma-fe )を「目(マ)の方(へ)」と解しているようであるが、「ま」は「マ」(南、向)と同原語である。朝鮮の古語の中の原始基本名詞には、かならず下に h を付けるので、「南」も「マヘ」( ma-h )となり、「前」(マヘ)の「ヘ」もこれである。「みなみ」は「み」(山)、「な」(所有格のノ)、「み」(前)の複合語、つまり「山の前方」の意を表わした語と思われる。「北」(キタ)は、朝鮮語「トゥイ」( tuj )(後、北)と対応すると。
東京新聞、1975,12,12 )

岩波古語辞典(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年、岩波書店)の『みなみ』の項目には、こんな注記がある。

語源は未詳。ヨーロッパ語では、南は、太陽の方向、真昼などの意の語で表現される。上代日本語でも、南のほかに「かげとも」(光の方向)という語がある。✝ minami

一方、ネット辞書等を見てみると


〚渡り来る試行錯誤〜言語学とかアニメとかゲームとか。科学とか。〛
東西南北(「ひがし」「にし」「みなみ」「きた」)の語源
……この記事のことを考えながら授業中居眠りしていたときに急に「みなうみ=皆海=全て海」の転じゃないかと頭に浮かんで飛び起きたのですが、何でしょう、南国を想像していて海が出てきたんですかね。「みなみ」は別に「海」じゃ無いんですよねw
まずは「南」が付く言葉から、と言うことで調べました。(広辞苑
南淵請安という飛鳥時代の人、姓は「みなぶち」です。南方熊楠という人も居ますね。姓は「みなかた」です。
「南」=「みな」です。
と言うことは「み」は東西の「し」と同じようにただの接尾語なのかな、とか思います。
でも「み」単独では接尾語にはならないのでやっぱり発音が変化しているんでしょうね。
意味の方向からも攻めたいのですが、教養がなくて「みなみと言えば……」と出てきません orz
「日」に戻るとすると「南中する方向」でしょうかね。音と合わないんですが。
音としては「み」が二つも付いているので「水」に関係していると思うんですがねぇ。

〚日本不思議百景〛
東西南北の語源とは?
……
つづき:では、「きた・みなみ」の語源は、いかなるものであろうな?
かおる:さあ、なんでしょう?
つづき:東西が、太陽の運行に関係するなら、南北もまた、古代人が自然現象を感じて、言葉を生んだと思えるわけじゃが。
かおる:古代人が感じた自然現象ですかあ?南北に特徴的な自然現象なんてあったかなあ?
つづき:あるいは、地形かもしれぬぞよ。
かおる:地形?
つづき:たとえば、日本海側(ママ)に住んでおれば 、南には「海」、北には「山」がそびえていたであろう。
かおる:「うみ」は「みなみ」と、語感的には繋がりそうですね?「みなも(水面)」「みなと(湊)」と、言いますから。
……


そして語源由来辞典の『みなみ』の項目にはこう書かれている。

〚語源由来辞典〛

【意味】南とは、方角のひとつ。南方。太陽の出る方に向かって右の方角。北の反対。
【南の語源・由来】
南は、皆の見る方の意味で「みなみ(皆見)」とするものが多く、この説は、南が「みんなみ」とも言うことからではあるが、意味としては説得力に欠ける。その他、海の見える方向という意味で「みのみ(海の見)」とする説。
「ひなみ(日並)」「まのひ(間の日)」「まひなか(真日中)」など、太陽と結びつけた説。
祈り願うことを意味する「なむ・のむ(祈む)」と関連付け、神に祈る方角の意味で「みなむ(神祈む)」とする説などあるが、語源は未詳。
漢字の「南」の原字は、納屋を描いた象形文字で、草木を暖かい納屋に入れて栽培するとさまを表したところから、「囲まれて暖かい」という意味を示した。転じて、「暖気を取り込む方角(南方)」の意味となった。


ところで私は以前ココログに(アメブロにも)『みなみ』の語源について書いている。

〚ゼロ地帯〛
『みなみ minami (南)』の語源について
2012,08,26
方角を表す四つの名詞のうち『ひがし(東、古形ひむかし)』『にし(西)』『きた(北)』については語源が明らかになっているが、『みなみ minami (南)』だけは語源が未詳であるとされている。
英語の south は sun が語源とされているので、多くの人が『みなみ』を太陽と結びつけようとしてうまく行かなかったようだ。
だがこれは発想をちょっと変えれば良いのではないか。
『きた』の語源が判っているのだから『みなみ』はその反対ではないかと考えてみた。
『きた』は『きたなし(穢し)』の語幹であり「不浄な方角」の意味とされている。
それならば『みなみ』は「神聖な方角」の意味ではないかと考えて分析してみると、まさにそのような意味が浮かび上がって来た。
初めの『み』は甲類なので、『みや(宮、神家)』『みこし(神輿)』『わたつみ(海神)』等の『み』すなわち「神」の意と考えられる。
後半の『なみ』は、現代では死語になっているが、上代には使われていた動詞『なむ』の連用名詞形だと思う。
『なむ』には母音交替形『のむ』という語形もあり意味は同じで「祈る」こと。
この『のむ』の連用名詞形『のみ』が借用語彙としてアイヌ語に入り『カムイノミ』という複合語になって残っている。
従って『み』は神、『なみ』は祈ることで、『みなみ』は「神に祈ること」となるが、方角を表す語彙なのでこの場合は「神に祈りを捧げる方角」という意味だろう。
古代日本人が南を「神に祈りを捧げる方角」としていた事を太陽神信仰と結びつける人も居るかも知れないが、私は太陽神信仰とは繋がらないだろうと思う。
『みなみ』の『み』は神を意味するが、神を意味する『み』には蛇という意味もあり、南方系の蛇神信仰に繋がっていると思う。
『みなみ』を「神に祈りを捧げる方角」すなわち神聖な方角としたのは、蛇神信仰を日本に持ち込んだ人たちの故郷が南の方角だったからではないかと思う。


一読すれば判ると思うが、「語源由来辞典」で書かれている「みなみ=神に祈りを捧げる方角」説とは明らかに私の説のことだ。
私以外がこの説を述べているのを見たことが無いし、私のこの書き込みは「みなみ 語源」で検索すれば上位に来るから間違いないと思う。
しかし、いつものこととは言え「語源由来辞典」に出典の明記が無いのは不愉快。

語源を考える〜『たけなわ』

「日本語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)には『たけなわ』の語源についてこう記述されている。

たけなわ[たけなは]【酣・闌】(名)(形動)
ある行為・催事・季節などがもっともさかんに行われている時。また、それらしくなっている状態。やや盛りを過ぎて、衰えかけているさまにもいう。最中(さいちゅう)。もなか。まっさかり。✦初出:書紀 720
[語源説]
❶タケは、丈の長くなることをいうタケルから。ナハは遅ナハルなどのナハと同じ〈本朝辞源=宇田甘冥〉。タケシ(長)の意から〈国語の語根とその分類=大島正健〉。
❷タケはタク(長・闌)・タケブ・タケルと同根〈小学館古語大辞典〉。
❸ウタゲナカバの約〈古事記伝〉。
※本朝辞源……1871年。
※国語の語根とその分類……1931年。
小学館古語大辞典……中田祝夫・和田利政・北原保雄編。1983年。
古事記伝……本居宣長著。1764~1798年。

「語源大辞典」(堀井令以知編、1988年、東京堂出版)の『たけなわ』の項目はこう書かれている。

タケナワ【酣】 まっさいちゅう。もっともさかんな時。古事記伝の説、ウタゲナカバの略からとするのはいかがであろう。タケは日長(た)くのタクと同系か。タケナハのナハは未詳。

「続・国語語源辞典」(山中襄太著、1985年、校倉書房)の『たけなわに』の項目はこう書かれている。

たけなわに【酣に、闌に】大言海たけなはに━━たけハ長(タ)くる意。なはハ成るノ意。〔考〕Batchelor のアイヌ語辞書に、take(今、只今、数日以前。now, just now, a few days ago)、nahun(只今、数日以前。just now, a few days ago, a little ago)という語がみえる。この両語を合わせた形 take-nahun とタケナハ(酣)と、よくにているのは、その間に何らかの関連が伏在するのか。酣(カン、たけなわ)の字は、「酉(サケ)が甘(ウマイ)」意から、酒ヲ楽シム、酒宴ノサカリ、物事ノサカリの意。闌の字音はランだが、カンの音もありうることは、柬(カン)、諫(カン)、揀(カン)などの例からもわかる。酣(カン)と同音だから、仮借用法として、この字を酣の意に使うのだろう。

岩波古語辞典(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年、岩波書店)の『たけなは』の項目はこう書かれている。

たけなは【酣・闌】かつ《タケはタケ(丈・長・闌)・タケシのタケ。高まる意》①物事の最も高まるとき。最中。「酒━の後(のち)に、吾は起ちて歌はむ」〈紀神武即位前〉。「酣、タケナハナリ・タケナハニ」〈名義抄〉②盛りを少し過ぎたさま。「夜深け酒━にして、次第(ついで)儛ひ訖(をは)る」〈紀顕宗即位前〉。「闌、ツクス・タケナハタリ・タケヌ」〈名義抄〉✝takënaFa

時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編集委員会編、1967年、三省堂)の項目はこう。

たけなは[酣]形状言。たけなわ。物事の(主に酒宴の)最中、あるいは盛りを過ぎた状態。「酒酣(たけなは)之後、吾則起歌」(神武前紀)「夜深酒酣(たけなはニシテ)、次第儛訖」(顕宗前紀)「酣タケナハニ・闌タケナハタリ」(名義抄)【考】「酣」は、酒を楽しむ・酒宴最中・盛んなの意。第三例名義抄にみえる「闌」は「言希也、謂、飲酒者、半罷半在、謂之闌」(漢書帝紀顔師古注)とあるように、盛りを過ぎたさまを表わす。真最中から盛り過ぎという意味の幅は、このような語に自然なものかと思われる。タケナハのタケは日(ヒ)長(タ)クなどのタク(下二段)であろうが、その日長クにも、真昼(朝おそく)をさす場合から、日の傾く夕方を指す場合までがあるようで、タケナハもその例外ではあるまい。

ネットの語源辞書には『たけなわ』の語源について書かれたものは無かったが、Twitterでこんな記事があった。

丸山天寿
【美しい言葉】━「酣=たけなわ」ーたけなわの語源は様々。「うたげなかば」が変化したという説。「長ける=たける」と「成る」が組み合わされたという説。暖かな日差し、鳥の声、咲き誇る花々。春たけなわと言うが他の季節には使わない。春は生命の盛んな季節。新たな希望を持てる季節
15:40 -2013年4月2日


さて、『たけ』については古事記伝本居宣長説を除けば下二段活用の動詞『たく(長く)』の連用形と取る説が多い。下二段活用の連用形は上代音では乙類になるので『たけなは』の『け』が乙類であることとも合致する。(ただ宣長説も清音と濁音の違いはあるのだが、『うたげ』の『げ』も乙類)
しかしまた『たかし(高し)』の語幹『たか』の露出形『たけ』の『け』もまた乙類であり、『たけなは』の『たけ』を『たか』の露出形の『たけ』と取ることにも音韻上の問題は無い。
また、語源不詳とされたりしている『なは』は容量の限度を示す『なは(納)』ではあるまいか。
すなわち「容量の限度一杯=『なは』まで高まっている状態」が『たけなは』ではないのかと私は考える。

語源を考える〜『わくらば(病葉)』

『わくらば(病葉)』の語源について、日本語源大辞典(前田富祺監修、2005年、小学館)にはこう書かれている。

わくら-ば【病葉】
病気や虫のために朽ちた葉。特に夏頃、紅葉のように色づき枯れた葉。✦初出:匠材集 1597
[語源説]
❶ワクルハ(別葉)の意〈大言海〉。
❷ワは若葉、クラは虫がクラウ意〈和句解〉。
❸ワキカルルワカバの約〈和訓考〉。
※和句解(わくげ)……松永貞徳著。1662年。
※和訓考(わくんこう)……釈如是観著。1826年。

ネット辞書では『わくらば』の語源について記したものはないが、ネット辞書以外のサイトにこんな記述がある。

〚 tak shonai's “Today's Crack” (今日の一撃)〛
《「病葉(わくらば)」という言葉》
……「病葉」の「病」という字を「わくら」と読ませるのは、少なくとも私の手持ちの『大辞林』では、他に例がない。つまりかなり特殊な言葉なのである。
ググってみると、「赤らむ葉(アカラムハ)」が転じて「わくらば」になったとする説と、古語の「わくらばに」(「偶然に、まれに」という意味で、今でも「邂逅」を「わくらば」と読むこともある)が、「夏なのに秋のように散る」という意味合いに通じて「病葉」に転じたという説がある。……

〚日本語はおもしろい〛
《病葉(わくらば)》
……わくらばとは、「別れる葉」から来ているようです。それを「病葉」も当てた。何とも繊細で、詩的な表現ですよね。……

OKWAVE
《 Q 病葉ということばについて》
「病葉」と書いて「わくらば」と読むことばがありますが、病という漢字そのものには「わくら」という読み方はあるのでしょうか?……
《 A みんなの回答》
☆回答No.5 (ベストアンサー)
kine-ore
「赤く変色した夏の木の葉を、アカラムハ(赤らむ葉)といった。その省略形のアカルバ(赤る葉)に子音[ w ]が添加されてワカラバになり、「カ」が母交〈※母音交替の略?〉[ a → u ]をとげて「クラ」になったため、ワクラバに転化した。……([ w ]の添加では)グワイ(具合)・バワイ(場合)・ユワミ(湯浴み)ということがある」(田井信之「日本語の起源」)……


『わくらば』の初出は室町時代とされているが、万葉集1618に「玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末(うれ)和々良葉尓(わわらばに)置ける白露」という歌があり、この『わわらば』を岩波古語辞典は「ほつれ乱れた葉。破れそそけた葉」の意としているので、語形の酷似、意味の共通性からみて、この『わわらば』が『わくらば』に変化したと考えて良いのではないか。
『わわらば』が『わくらば』になったのは『々』が『久』と誤読されたためではないかと思う。
『わわらば』の『わわ』は「乱れる」の意の形容詞『わわし』の語幹で『ら』は状態を示す接尾辞、『ば』はもちろん「葉」の連濁と考えて良いだろう。

語源を考える〜『しぐれ』

『しぐれ(時雨)』の語源について「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀編、1998年、講談社)にはこうある。


《時雨(しぐれ)》
晩秋から初冬にかけて、一時ぱらぱらと降ってくる小雨。風が強まって急に降ったり、すぐ止んだりする。「時雨」は、時に降ることから当てられた字。『万葉集』(8世紀)にシグレ・シグレノアメが見られる。『祝詞(のりと)』(10世紀初)などにある風の異称シナトノカゼ(シは風、ナは「の」の意の古い連体助詞、トは場所)等から古く風の意のシがあったとみられ、これとシグレのシを関連づける説など、さまざまな語源説があるが未詳。〚久保田篤
万葉集 奈良時代末期に成立した、現存する日本最古の和歌集。20巻。撰者は不明。奈良時代およびそれ以前につくられた四千五百余首を収録。『万葉集』の記載に従えば、古くは仁徳天皇の時代(5世紀後半)の歌を含んでいることになるが、それらは後代に仮託されたもののようで、実際には舒明天皇の時代(629~641)から後のものと見られる。雑歌・相聞歌・挽歌などに分類されており、また、東歌・防人歌など異色の歌も収載されている。
祝詞 祭儀の詞章。『延喜式』(927)に収められたものが有名。


「日本語源大辞典」にはこうある。


しぐれ【時雨】
主として晩秋から初冬にかけての、降ったりやんだりする小雨。また、そのような曇りがちの空模様をもいう。✦初出:万葉 8C後
[語源説]
❶シバシクラキの義〈日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解〉。シバシクラシ(荀味)の義から〈紫門和語類集〉。シハクラ(屢暗)の義〈言元梯〉。
❷シクレアメ(陰雨)の略〈東雅〉。
❸シグレ(気暗)の義〈松屋筆記〉。
❹頻昏の義〈和訓栞〉。シキリクレ(頻暮)の義〈日本語原学=林甕臣〉。シキリニクラシの訓〈関秘録〉。
❺シゲククラム(茂暗)の義〈志不可起〉。シゲクレ(繁昏)の義〈名言通〉。
❻イキグレ(気濛)の義〈松屋棟梁集〉。
❼シは添えた語。クレは、空がクラクなるところから〈和訓栞(増補)〉。
❽シは水垂下の義。クレは雨、あるいは陰、あるいは暗晦の義という〈箋注和名抄〉。
❾シは風の義、クレは狂ヒの転か〈音幻論=幸田露伴〉。
❿シは風の義。クレは晩の義〈和訓集説〉。
⑪過ぎ行く通り雨であるところから、スグル(過)の転〈語源をさぐる=新村出〉。


ネットの語源辞書は以下の通り。


〚語源由来辞典〛
しぐれ
【意味】しぐれとは、晩秋から初冬にかけて、ぱらぱらと降ってはやむ、一時的な通り雨。
【しぐれの語源・由来】
しぐれの語源には、「シバシクラキ(しばらくの間暗い)」や「シゲククラキ(茂暗)」など、一時的に暗くなるところからとする説。
「アラシ(嵐)」の「シ」や「カゼ(風)」の「ゼ」と同じく、「シ」は「風」を意味し、急に風が強まったりすることから、「シクルヒ(風狂い)」の転。
通り過ぎゆく一時的な雨なので、「スグル(過ぐる)」の転など、この他にも多くの説があるが、正確な語源は解っていない。


〚和じかん com.〜雨に関係する日本語の由来〛
「時雨(しぐれ)」は過ぐるからできた言葉

時雨は語源の通りに、ひとしきり降ってサッと通り過ぎる自然現象です。「とおりすぎる」から転じて「しぐれ」になったのです。
秋の長雨と違って、音のしない降り方が特長(ママ)。天気予報などで「夕方に少し時雨れるでしょう」といっているのを聞くことがあるが、これは時雨が降るでしょうの意味。


〚言霊・楽習社〛
時雨の語源は?……時雨の時って、しばらく空が暗くなり、一時的に雨が通り過ぎ、時には強い風もともなうこともありますね

西高東低の冬型の気圧配置でも、等圧線が縦模様に何本も走っている天気図の時は強い冬の季節風が吹き、そのため日本海で発生した雲が私が住む阪神間の平野部まで到達し、時雨をもたらすことがある。

「時」と「雨」で、「しぐれ」と呼ぶがその「しぐれ」の語源はいろいろある。
が3つの説を紹介する。

1つ目の説としては「過ぐる」が変化したものという説がある。
「過ぐる」が語源だとすれば時雨はあまり長い時間降る雨でなく、雨雲が通り過ぎるとすぐに晴れてくることが多いから「過ぐる」が変化して「しぐれ」になったということが想像できる。

2つ目の説として「しばし暗し」「しばし暮れる」説がある。
これも、時雨が短時間であることに由来していると考えられる。
時雨の時は、空が雨雲に覆われて暗くなり、日が暮れたように感じるが、そうなっても短時間のことなので「しばし暗し」「しばし暮れる」が語源になったということが想像できる。

3つ目の語源説としては「風」の古語の「し」と「狂い」が転化した「ぐれ」が合わさって「しぐれ」になったという説である。
この場合は、冬の強い北風をともなって降る雨、それも時には、強い風を伴い、荒れ狂う天候で、降る雨から「風」の古語の「し」と「狂い」が転化した「ぐれ」から「しぐれ」になったと想像できる。


これまでに出ている語源説は時雨が一過性の雨という点に注目したものが多く、晩秋から冬という季節について説明できる語源説が無いことに物足りなさを覚える。
そこで私なりに考えてみた。

全国方言辞典(東條操編、1951年、東京堂出版)にはこんな記述がある。

ぐり……時雨。しぐれ。南島首里

また分類方言辞典(東條操編、1954年、東京堂出版)巻末の全国方言辞典補遺篇には

なつぃぐり……夏の雨。夕立。南島。

という記述もある。
沖縄語辞典(国立国語研究所編、1963年、大蔵省印刷局)には guri の項目は無いが

naçiguri……夏のにわか雨。夕立。文語的な語。

とある。
また「おもろさうし」1234には

天頂(あまつゞ)は 雨(あめ)たもす 漏(も)らね
天頂は あいつまは いきやかせ
又天頂は くれたもす 漏らね

とあって『雨=くれ』であることが判る。この『くれ』は雨を意味する古語とされる。

これらから琉球古語で雨を意味する『くれ』もしくは『くり』(『ぐり』は連濁か)という語があったと想定できる。
また分類方言辞典巻末の全国方言辞典補遺篇には

うりー……(湿の意)雨降り。おしめり。広島県葦品郡・長崎県南高来郡・南島。

とあり、この『うりー』も意味・語形からみて『くり』と同源と考えられるので『くり』は琉球語のみならず、かつては日本本土でも使われていたと考えられる。したがって『しぐれ』の『くれ』はこの『くり』と同源であり「雨」を意味する語根であろう。
また分類方言辞典巻末の全国方言辞典補遺篇には

くり……霧。八丈島。

とあるので、『霧(きり)』もおそらく雨の意の『くり』に由来する語で『くり→きり』と語形が変化したものだろう。

一方『しぐれ』の『し』に関してだが、琉球語では時雨=冬の雨を simu と言う。(沖縄語辞典に拠る)。この simu は和語の『しも(霜)』に由来するという。
播磨風土記

愛(うつく)しき小目のささ葉に霰降り志毛降るともな枯れそね小目のささ葉

万葉集64の

葦辺ゆく鴨の羽がひに霜ふりて寒き夕は大和し思ほゆ

そして琉球語のシムが時雨を意味することなども考えると『しも』は古くは冷たい雨(氷雨)あるいは霙(みぞれ)を意味したのではなかろうか。上代においては『しも』は「置く」ではなく「降る」と表現される例が多いのも、『しも』が氷雨や霙を意味したとすれば理解しやすい。

ということで『しも+くり→しもぐり→しぐり→しぐれ』となったと想定してみた。
あるいはまた『しぐれ』の『し』を『氷雨』の『ひ』が転じたものと考えることもできる。
通り雨という意味は『時雨』という字を宛てたことによって二次的に生じた意味だろうと思う。